黒田長政の子で秋月藩を立藩した黒田長興を祀る、秋月のシンボル黒門を移築
[住所]福岡県朝倉市秋月野鳥666
[電話]0946-24-6758 - 朝倉市観光協会

垂裕神社(すいようじんじゃ)は、福岡県朝倉市にある神社。近代社格では県社。境内には楓の木が多く、周辺は紅葉の名所としても有名。御朱印の有無は不明。

安政6年(1859年)、秋月藩第10代藩主黒田長元が初代藩主黒田長興の200周忌を迎えるにあたり、その功績を記念するため秋月八幡宮宮司宮永保親に命じて京都の吉田家に神号授与を申請した。

黒田長興(くろだ ながおき)は、
元和9年(1623年)、父長政が死去するとその遺言により、長興には5万石が分与され、秋月藩を立藩した。後年福岡宗藩と共に肩を並べて諸侯の列に就くことは長興の功績が大だとされた。

寛永元年(1624年)7月、秋月に入る。兄ですでに本家を継いでいた暗愚な黒田忠之は、有能な弟長興の存在を恐れ、3代将軍徳川家光への御目見を妨害するなどした。

寛永14年(1637年)の島原の乱にも出陣して戦功を挙げ、長崎警備も務めている。また、筑後川支流域の新田開発や藩内交通の整備も行ない、藩制を確立した。名君である。

その長興に対して、申請を受けた吉田家より「垂裕明神」の神号を与えられ、神霊を秋月八幡宮相殿に祀ったのが創始。元治元年(1864年)、八幡宮から秋月城内の仮御殿に移し祀る。

その後、明治5年(1872年)から3年がかりで現在地に社殿を建設。明治13年(1880年)に秋月城大手門、通称黒門を境内に移築。黒門は今や、秋月観光のシンボル。

なお、社殿の建設工事及び境内の整備は旧秋月藩士達が中心となって実施したため、参道の石段は士族坂(さむらいざか)とも呼ばれる。

昭和22年(1947年)、歴代藩主及びその夫人・公子、島原の乱から太平洋戦争の戦死者を合祀した。

父長政は、福岡市中央区西公園にある光雲神社で祀られている。

【ご利益】
家内安全、産業振興、五穀豊穣・商売繁盛
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