神功皇后も豊臣秀吉も戦勝祈願した社、10月には古式伝える秋祭り
[住所]兵庫県高砂市高砂町東宮町190
[電話]079-442-0160

高砂神社(たかさごじんじゃ)は、兵庫県高砂市にある神社。近代社格では県社。能・謡曲の『高砂』の舞台の一つとも言われている。参拝すれば、御朱印を頂ける。

神功皇后が三韓征伐の際、大己貴命の神助を得て敵を平らげた。帰国の途中、この地に船を寄せ、国家鎮護のため、大己貴命を奉斎したのが始まり。

その後、天禄年間(970年-972年)、国内に疫病が流行し、庶民が苦しんでいた時、神託によって素盞嗚命奇稲田姫命を合祀、疫病が収まり、庶民は喜んでお礼参りをしたと伝わる。

文禄元年(1592年)、豊臣秀吉の唐入り、朝鮮出兵の時、当社に参拝し、戦勝を祈願したと伝えられる。神功皇后ともども、日本史における代表的な朝鮮役の祈願社となっていることになる。

慶長6年(1601年)、姫路城主池田輝政は高砂城築城のため、当社を西北の松林に遷座。ただし、輝政は社領の寄進をするなど、当社を崇敬した。

元和元年(1615年)の一国一城令により高砂城が廃城となった後、寛永2年(1625年)、姫路藩主本多忠政が当社を高砂城跡の旧社地に復し、遷座祭を大々的に執り行った。

加古川河口近く、西岸に鎮座する当社に対して、その東岸には当社と同じ御祭神を祀る崎宮神社がある。

江戸時代初めごろまで、当社神輿が崎宮神社まで渡御したともいわれている。両社とも、加古川の洪水封じ、減災を期待された、関係ある社だと考えられる。

天樹院(千姫)をはじめ、武将や貴人、そのほか学者、詩人、歌人、俳人が多く歴訪・参拝している。

江戸時代の画家、森狙仙筆「神式図」、森周峯筆「関羽図」、曽我蕭白筆「武者図」をはじめ、現代では棟方志功筆「鯤魚之図」など、多くの絵馬が奉納されている。

一つの根から雌雄2本の幹をもつ松が境内にあった。この松は、尉(伊弉諾尊)と姥(伊弉冊尊)の2神が宿る霊松とされ、相生の松(相生松)と称された。

初代相生の松は天禄年間に、2代目は兵火によって天正年間(1573年-1592年)に枯死したと伝えられている。本多忠政がこれを惜しみ、遷宮の際に3代目の相生の松を植えたと言われている。

3代目相生の松は大正13年(1924年)に天然記念物に指定されたが、昭和12年(1937年)に枯死、幹が霊松殿で保存されている。現在は5代目の松が枝を張る。

なお、相生の松の他にも市保存樹となっているいぶきも御神木とされており、『高砂』の登場人物である肥後国阿蘇宮神主・友成の杖から発芽したとする伝説がある。

なお、『高砂』の松に関しては、加古川市の尾上神社にも伝承が残る。

例祭は10月11日。その前々日9日がおひろめであり、揃えられたまつりの衣裳やにぎわい物が各町ごとに披露される。10日が神幸祭と船渡御。11日が例大祭。

当社祭礼は往時、「大阪の天神祭か高砂神社の秋祭か」と言われたほど、全国的に有名なもので、1000年以上続く古式を今に伝える伝統の祭礼といわれる。

その船渡御は播州三大祭りともされる。また、当社は旧加古郡において、毎年春、3月末から5月初頭のいずれかに行われる臨時の祭り、国恩祭を行う神社の一社。

摂社として、尉姥神社・伊弉諾命・伊弉册命を祀り、末社として、住吉神社・八幡神社神明神社・春日神社・稲荷神社・少彦名神杜・天満神社・愛宕神社・猿田彦神社・琴平神社・秋葉神社がある。

【ご利益】
武運長久・勝運、夫婦和合、家内円満、厄災除け(公式HP
高砂神社(高砂市) - 神功皇后も豊臣秀吉も戦勝祈願した社、10月には古式伝える秋祭り
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高砂神社(高砂市)の御朱印