成務朝の創祀故事に起源のある「おしゃたか舟神事」が伝わる古社
[住所]兵庫県明石市材木町8-10
[電話]078-911-3247

岩屋神社(いわやじんじゃ)は、兵庫県明石市材木町にある神社。参拝すれば、御朱印を頂ける。

延喜式』巻9・10神名帳 山陽道神 播磨国 明石郡「伊和都比売神社」、あるいは「弥賀多多神社/弥賀多々神社」に比定される式内社(小社)の論社。近代社格では県社

岩屋エビス、六所大明神などとも呼ばれ、伊弉諾尊を主祭神に、伊弉冊尊大日孁尊(おおひるめのみこと)、月読尊蛭子尊素盞嗚尊を配祀する。

社伝によれば、第13代成務天皇13年6月15日に勅命により、淡路島の岩屋より勧請して創祀されたと伝えられる。

同年夏に当地の子供に淡路島の岩屋の神が懸かり、当地に勧請するようお告げがあり、勧請したという伝承もある。

文政8年(1825年)に渡辺容信によって著された淡路地誌『淡路草』にも淡路石屋神社の分霊を明石岩屋神社に遷したことが記されている。

明石浦の名主、前浜六人衆が新しい舟を仕立てて淡路から神を遷す際、海が大いに荒れて舟を明石浦の浜に着けることができず、西方の林崎前の赤石へ舟を着け、海難防止と豊漁を祈った。

明け方には海も静まり、現在地に無事神様をお迎えすることができたが、この時地元の住民が沖まで泳いで出迎え、「御神体と一緒に乗船するのは畏れ多い」と泳ぎながら舟を押して岩屋の地に着いたという。

創祀以来、稲爪神社海神社と並んで東播磨地域の古大社として人々の厚い崇拝を受けた。特に明石城の産土神として尊ばれ、例年藩主自らが参拝する神社の一つであった。

元文2年(1737年)には藩主松平直常の世継ぎ直純が「鎧始めの儀」の際に当社に参拝し、以後、世継ぎの鎧始めの儀の際には当社への参拝が慣例となった。

明治12年(1879年)、県社に列す。昭和20年(1945年)7月、太平洋戦争の明石空襲により社殿が焼失したが、戦後の昭和29年(1954年)に再建された。

例祭は10月13日。御輿の巡行がある。毎年7月第3日曜日には、創祀の故事にちなんだおしゃたか舟神事が行われる。「おしゃたか」とは明石の方言の「おじゃったかなぁ」がなまったもので、「神さまがいらっしゃったか」という意味。

御祭神6柱と、全長約2メートルのお供のおしゃたか舟9隻を持った氏子の青年らが舟を立ち泳ぎで頭上高く掲げ「オシャタカー」と唱え、前に押し進め渡御式を行う。

海難防止と豊漁を祈願する祭で、現在は市の無形民俗文化財に指定されている。

境内社に、猿田彦神社(猿田彦命)、随神社(豊磐間戸命・櫛磐間戸命)、弓洲恵神社(武甕槌命)、粟島神社(少彦名命)、住吉神社(少童海神)、八幡神社(誉田別尊)、水分神社(水分神など)、稲荷神社(稲倉魂神)、蛭子社(蛭子命)がある。

また、境内には光源氏が月見をしたとされる「光源氏月見の松」がある。門かぶりの松となっている。

なお、明石郡の式内社「伊和都比売神社」の論社は他に、稲爪神社、稲爪神社の境内摂社の稲爪浜恵比須神社、明石市岬町の伊弉冊神社がある。

播磨国赤穂郡にも同名の式内社があり、伊和都比売神社などが論社。「弥賀多多神社」の論社は他に、伊弉冊神社の他、神戸市西区平野町の堅田繁田黒田に三社の堅田神社がある。

【ご利益】
家内安全、商売繁盛、招福、災厄消除、縁結び(公式HP
岩屋神社 兵庫県明石市材木町
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岩屋神社(明石市)の御朱印