赤石に顕現した海神を祀る、羽柴秀吉も観覧、地名由来・雨乞いの社
[住所]兵庫県明石市宮の上5-1
[電話]078-922-0150
林神社(はやしじんじゃ)は、兵庫県明石市にある神社。参拝すれば、御朱印を頂ける。
『延喜式』巻9・10神名帳 山陽道神 播磨国 明石郡「林神社」に比定される式内社(小社)。近代社格では県社。
明石という地名の由来になった神社で、少童海神を主祭神に、彦火々出見命、豊玉姫命、葺不合尊、玉依姫命、御崎大神(みさきのおおかみ)を配祀する。
鎮座地は古く上野と呼ばれていたために上野宮または上ノ宮明神とも呼ばれる。海を見おろす高台から漁業の町・明石の繁栄と、海上交通の難所・明石海峡を行き交う舟の安全を見守り続ける神である。
社伝によれば、少童海神が海浜の巨大な赤石の上に顕現したところ、第13代成務天皇8年にその赤石が風波によって海中に没したために、翌9年に再度海上の安全を見守れる高台上に創建したのが創祀といい、明石市最古の神社であるという。
この赤石が明石の由来となった。平城天皇(在位:806年-809年)が当社に行幸、赤石を展覧し、羽柴秀吉も天正9年(1581年)に参拝、舟より赤石を観覧した。
寛弘2年(1005年)に御崎大神以外の配祀神4柱を合祀し、以後上宮五社大明神と称した。明治時代に境外末社の御崎大神を合祀し、明治14年(1881年)には県社に昇格した。
雨乞いの社としても有名で、古くは延喜22年(922年)に旱魃のため勅命を受けて祈願し、霊験があったと記録されている。寛政6年(1794年)にも祈雨し、神験があった。
当社東方の谷にある八尺四方の井戸は「立石の井」と呼ばれ、海中の大鱆(おおだこ)退治の伝承が残る。清水がこんこんと湧き出ずる名水だったが、近年付近の宅地化が進み、往時の水質・水量はない。
例祭は10月15日に近い日曜日で秋祭り。神輿巡幸があり、一枚布団太鼓が有名。4月3日が春祭で、湯立て神事がある。7月14日が夏祭で、茅の輪くぐりが行われる。
【ご利益】
水難除け、海上・交通安全、商売繁盛、雨乞い、厄災除け(公式HP)
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林神社(はやしじんじゃ)は、兵庫県明石市にある神社。参拝すれば、御朱印を頂ける。
『延喜式』巻9・10神名帳 山陽道神 播磨国 明石郡「林神社」に比定される式内社(小社)。近代社格では県社。
明石という地名の由来になった神社で、少童海神を主祭神に、彦火々出見命、豊玉姫命、葺不合尊、玉依姫命、御崎大神(みさきのおおかみ)を配祀する。
鎮座地は古く上野と呼ばれていたために上野宮または上ノ宮明神とも呼ばれる。海を見おろす高台から漁業の町・明石の繁栄と、海上交通の難所・明石海峡を行き交う舟の安全を見守り続ける神である。
社伝によれば、少童海神が海浜の巨大な赤石の上に顕現したところ、第13代成務天皇8年にその赤石が風波によって海中に没したために、翌9年に再度海上の安全を見守れる高台上に創建したのが創祀といい、明石市最古の神社であるという。
この赤石が明石の由来となった。平城天皇(在位:806年-809年)が当社に行幸、赤石を展覧し、羽柴秀吉も天正9年(1581年)に参拝、舟より赤石を観覧した。
寛弘2年(1005年)に御崎大神以外の配祀神4柱を合祀し、以後上宮五社大明神と称した。明治時代に境外末社の御崎大神を合祀し、明治14年(1881年)には県社に昇格した。
雨乞いの社としても有名で、古くは延喜22年(922年)に旱魃のため勅命を受けて祈願し、霊験があったと記録されている。寛政6年(1794年)にも祈雨し、神験があった。
当社東方の谷にある八尺四方の井戸は「立石の井」と呼ばれ、海中の大鱆(おおだこ)退治の伝承が残る。清水がこんこんと湧き出ずる名水だったが、近年付近の宅地化が進み、往時の水質・水量はない。
例祭は10月15日に近い日曜日で秋祭り。神輿巡幸があり、一枚布団太鼓が有名。4月3日が春祭で、湯立て神事がある。7月14日が夏祭で、茅の輪くぐりが行われる。
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