針間阿宗君の祖を祀り、その後に八幡を併せた、飛鳥朝創建の古社
[住所]兵庫県たつの市誉田町広山119
[電話]0791-62-1839

阿宗神社(あそうじんじゃ)は、兵庫県たつの市誉田町にある神社。参拝すれば、御朱印を頂ける。

延喜式』巻9・10神名帳 山陽道神 播磨国 揖保郡「阿宗神社」に比定される式内社(小社)近代社格では県社

飛鳥時代の第29欽明天皇32年(571年)、大伴狭手彦が勅を奉じて宇佐八幡宮の分霊を立岡山に勧請して創建。

大伴狭手彦は大伴金村の子で、大伴氏祖である道臣命の十世孫であり、和歌山県和歌山市の刺田比古神社で祀られている。

御祭神は神功皇后応神天皇玉依姫命息長日子王。息長日子王がもともとの主祭神。そこに八幡神が合祀された、あるいは併呑した形か。現在は配神とされる場合もある。

息長日子王は阿宗親王とも呼ばれ、『古事記』にも吉備の品遲の君、播磨の阿宗の君の祖(針間阿宗君の祖)とある、息長帯比売命、つまり神功皇后の弟。

天平宝字8年(764年)に藤原貞国が新羅軍追討の祈願を行った。文治5年(1189年)、内山城主鹽津義綱が揖東郡廣山村の現在地に遷座。

それまで紀内山太夫・綾部竹之進らが宮守として奉仕していたが、文永3年(1266年)、杜殿風壊のため再建、その際に楽々山円勝寺が別当となり、神輿行幸の祭典が始まる。

正応元年(1288年)、時宗開祖の一遍上人が和歌を奉納。建武3年(1336年)、新田義貞が足利尊氏討伐のために本営を置いた。

嘉慶2年(1388年)3月、国司前越後守赤松顕則が田地を寄進。天文6年(1537年)、樂々山円勝寺が廃寺となり、斑鳩寺がこれに替わって別当寺となった。

天文10年(1541年)12月2日には兵火のために社殿及び末社を焼失、天文18年(1549年)、地頭代官周東宗次が鳥居を再興した。

元亀3年(1572年)10月25日、社殿が炎上する。天正2年(1574年) 9月に弘山八幡宮として再建された。また、慶長12年(1607年)には舞殿・拝殿が再建された。

寛政5年(1793年)、本殿の屋根替を行い、龍野城主生駒氏が御供田三反を寄進している。文化7年(1810年)、八幡宮1500年忌祭を執行。相撲を興行した記録がある。

明治になり、現社号に改称、明治7年(1874年)2月(明治4年4月とも)には郷社に列し、明治14年(1881年)6月には県社に昇格、大正5年(1916年)に神饌幣帛料供進神社に指定された。

昭和61年(1986年)、遷座八百午祭記念事業として、幣拝殿・絵馬殿・神輿堂・神門・神宝庫・土塀などを修繕、社務所・手水舎・御道具庫を改築し、表玉垣を新設する。

その際に御神馬(青銅製)が奉納される。そして、平成元年(1989年)、遷座八百午祭が執行された。

例祭は10月10日で秋祭り。2月18日からの2日間に厄除祭が斎行され、西播各地より参詣者が多いという。

【ご利益】
厄災除け、安産、家内安全
阿宗神社(たつの市) - 針間阿宗君の祖を祀り、その後に八幡を併せた、飛鳥朝創建の古社
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阿宗神社(たつの市)の御朱印