天日槍の嫡子・多遲摩母呂須玖を祀る、10月に3社合同だんじり祭り
[住所]兵庫県豊岡市出石町内町28
[電話]-
諸杉神社(もろすぎじんじゃ)は、兵庫県豊岡市出石町にある神社。御朱印の有無は不明。
『延喜式神名帳』にある「諸杉神社(但馬国・出石郡)」に比定される式内社(小社)。近代社格では県社。
有子山北麓、出石城東部に鎮座する。御祭神は多遲摩母呂須玖神(たじまもろすくのかみ)。出石開拓神たる天日槍の嫡子とされる。
『古事記』では「多遲摩母呂須玖」、『日本書紀』では「但馬諸助」と表記される。社名の「諸杉」はこの「母呂須玖(諸助)」に由来する。
出石一帯では、当社のほか、出石町宮内の出石神社、出石町桐野の御出石神社、三宅の中嶋神社、出石町荒木の須義神社など天日槍系の神社が多く分布する。
創建は不詳。社伝では、当初は出石神社近くの水上村(現 豊岡市出石町水上)に鎮座したという。現在も当社の氏子の関係にあり、祭礼では水上までの神輿渡御が行われる。
天正2年(1574年)、山名氏が此隅山城から有子山城に移転するにあたり、当社も水上村から城下の現在地に遷座した。
江戸時代には出石城の山里曲輪北方に祀られ、城主の小出氏・松平氏・仙石氏から崇敬を受けて社殿造営・神供料寄進などがなされている。
仙石氏の城主時代は、参勤交代からの帰国に際して城主自ら当社に参拝するのが習わしであったという。この頃には「諸杉大明神」とも称されていた。
明治維新後、明治6年(1873年)10月に郷社に列し、大正13年(1924年)4月21日に県社に昇格。その間、明治9年(1876年)に社殿を焼失したが、明治17年(1884年)に再建されている。
摂末社に、川上神社・天神社・厳島神社・社日神社・新田神社・三柱神社・八幡神社・稲荷神社・大國神社・稲荷神社がある。
例祭は10月15日前の日曜日。かつては9月9日、後に10月15日に行われていた。石部神社と伊福部神社とともに、「だんじり祭り」と称して約20台のだんじりをして出石城前でぶつけ合う喧嘩祭りを行う。
【ご利益】
家内安全・地域振興、諸願成就

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有子山北麓、出石城東部に鎮座する。御祭神は多遲摩母呂須玖神(たじまもろすくのかみ)。出石開拓神たる天日槍の嫡子とされる。
『古事記』では「多遲摩母呂須玖」、『日本書紀』では「但馬諸助」と表記される。社名の「諸杉」はこの「母呂須玖(諸助)」に由来する。
出石一帯では、当社のほか、出石町宮内の出石神社、出石町桐野の御出石神社、三宅の中嶋神社、出石町荒木の須義神社など天日槍系の神社が多く分布する。
創建は不詳。社伝では、当初は出石神社近くの水上村(現 豊岡市出石町水上)に鎮座したという。現在も当社の氏子の関係にあり、祭礼では水上までの神輿渡御が行われる。
天正2年(1574年)、山名氏が此隅山城から有子山城に移転するにあたり、当社も水上村から城下の現在地に遷座した。
江戸時代には出石城の山里曲輪北方に祀られ、城主の小出氏・松平氏・仙石氏から崇敬を受けて社殿造営・神供料寄進などがなされている。
仙石氏の城主時代は、参勤交代からの帰国に際して城主自ら当社に参拝するのが習わしであったという。この頃には「諸杉大明神」とも称されていた。
明治維新後、明治6年(1873年)10月に郷社に列し、大正13年(1924年)4月21日に県社に昇格。その間、明治9年(1876年)に社殿を焼失したが、明治17年(1884年)に再建されている。
摂末社に、川上神社・天神社・厳島神社・社日神社・新田神社・三柱神社・八幡神社・稲荷神社・大國神社・稲荷神社がある。
例祭は10月15日前の日曜日。かつては9月9日、後に10月15日に行われていた。石部神社と伊福部神社とともに、「だんじり祭り」と称して約20台のだんじりをして出石城前でぶつけ合う喧嘩祭りを行う。
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