離縁を恐れて花嫁行列は通らない縁切りの女神、『摂津国風土記』記載の古社
[住所]兵庫県神戸市灘区岩屋中町4-1-8
[電話]078-861-2091
敏馬神社(みぬめじんじゃ)は、兵庫県神戸市灘区にある神社。参拝すれば、御朱印を頂ける。
『延喜式』巻9・10神名帳 畿内神 摂津国 八部郡「汶売神社」に比定される式内社(小社)。近代社格では県社。
国道2号と 国道43号が東から西へ1本に重なる道路に北接する丘の上に鎮座する。阪神電鉄「岩屋駅」の南東約150メートルに鎮座する。敏馬は、古く、汶売、美奴売、三犬女、見宿女などの文字で書かれることもあった。
現在は素盞嗚尊を主祭神とし、天照皇大神・熊野坐神を配祀しており、江戸時代までは「牛頭天王」と称していた。
本来の御祭神は美奴売神・敏馬神(みぬめのかみ)であった。ミヌメ神はその神名から水神の弥都波能売神と同神とみられ、現在では境内社の水神社に弥都波能売神が祀られている。
『摂津国風土記』逸文に当社創建に関して、神功皇后が新羅征伐に出発する際、川辺郡神前松原(現在の尼崎市の神崎もしくは豊中)で戦勝祈願した。
その時、猪名川上流の能勢の美奴売山(大阪府豊能郡三草山)の神が来て、美奴売山の杉の木を切って船を作れば必ず勝利すると告げた。
その通りにして勝利を納めた帰途、古代には南に突き出した岬となっていた当地の沖で船が動かなくなり、船上で占いをすると、これは美奴売山の神の意志であるとわかったので、そこに美奴売神を祀ったという。
これは住吉大社『住吉大社神代記』にも猪名川の女神と武庫川の女神が住吉大神の気を引くために、互いに競ったことが記されている。
『摂津国風土記』逸文に、豊受大神が丹波国に遷座する前は、摂津国稲倉山に居たことが記されているが、この稲倉山は猪名川上流域にあったのではないかとの説がある。
『延喜式』巻11「玄蕃寮」には、特に、新羅より賓客が来朝した時、生田神社で醸した酒を、当地でふるまったことが見える。
都から現在の大阪を経て、西国に船で向かう時の最初の宿泊港であり、西国から都に戻る時、大和を意識させる生駒山などが見え出す地でもある。
そのことから、柿本人麻呂、大伴旅人、田辺福麻呂はじめ、多くの歌人によって、和歌が当地で詠まれた。
江戸時代には、俳人の与謝蕪村も兵庫の北風家に立ち寄る途中、度々訪れている。西国街道(浜街道)に面していたので、様々な遊戯施設が設けられ、陸からも、海からも、参拝者が訪れ、賑やかであった。
明治6年(1873年)8月に村社に列格し、昭和5年(1930年)9月に県社に昇格した。昭和20年(1945年)6月5日、戦災により社殿を焼失し、昭和27年(1952年)に再建された。
本殿のある丘の下に湧水があったが、阪神・淡路大震災で涸れてしまった。
古来より、この神社の前を、離縁を恐れて花嫁行列は通らない。女神が嫉妬するからだと言われているが、縁切りでも有名で、様々な縁切の方法が伝えられている。
夏季大祭が7月13日・14日、秋季大祭が10月9日・10日。
【ご利益】
縁切り、良縁、厄災除け、諸願成就
【関連記事】
・『延喜式』玄蕃寮・渡来人に賜う神酒を作る神社とは? - 難波館と敏馬崎で賜われる神酒
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[電話]078-861-2091
敏馬神社(みぬめじんじゃ)は、兵庫県神戸市灘区にある神社。参拝すれば、御朱印を頂ける。
『延喜式』巻9・10神名帳 畿内神 摂津国 八部郡「汶売神社」に比定される式内社(小社)。近代社格では県社。
国道2号と 国道43号が東から西へ1本に重なる道路に北接する丘の上に鎮座する。阪神電鉄「岩屋駅」の南東約150メートルに鎮座する。敏馬は、古く、汶売、美奴売、三犬女、見宿女などの文字で書かれることもあった。
現在は素盞嗚尊を主祭神とし、天照皇大神・熊野坐神を配祀しており、江戸時代までは「牛頭天王」と称していた。
本来の御祭神は美奴売神・敏馬神(みぬめのかみ)であった。ミヌメ神はその神名から水神の弥都波能売神と同神とみられ、現在では境内社の水神社に弥都波能売神が祀られている。
『摂津国風土記』逸文に当社創建に関して、神功皇后が新羅征伐に出発する際、川辺郡神前松原(現在の尼崎市の神崎もしくは豊中)で戦勝祈願した。
その時、猪名川上流の能勢の美奴売山(大阪府豊能郡三草山)の神が来て、美奴売山の杉の木を切って船を作れば必ず勝利すると告げた。
その通りにして勝利を納めた帰途、古代には南に突き出した岬となっていた当地の沖で船が動かなくなり、船上で占いをすると、これは美奴売山の神の意志であるとわかったので、そこに美奴売神を祀ったという。
これは住吉大社『住吉大社神代記』にも猪名川の女神と武庫川の女神が住吉大神の気を引くために、互いに競ったことが記されている。
『摂津国風土記』逸文に、豊受大神が丹波国に遷座する前は、摂津国稲倉山に居たことが記されているが、この稲倉山は猪名川上流域にあったのではないかとの説がある。
『延喜式』巻11「玄蕃寮」には、特に、新羅より賓客が来朝した時、生田神社で醸した酒を、当地でふるまったことが見える。
都から現在の大阪を経て、西国に船で向かう時の最初の宿泊港であり、西国から都に戻る時、大和を意識させる生駒山などが見え出す地でもある。
そのことから、柿本人麻呂、大伴旅人、田辺福麻呂はじめ、多くの歌人によって、和歌が当地で詠まれた。
江戸時代には、俳人の与謝蕪村も兵庫の北風家に立ち寄る途中、度々訪れている。西国街道(浜街道)に面していたので、様々な遊戯施設が設けられ、陸からも、海からも、参拝者が訪れ、賑やかであった。
明治6年(1873年)8月に村社に列格し、昭和5年(1930年)9月に県社に昇格した。昭和20年(1945年)6月5日、戦災により社殿を焼失し、昭和27年(1952年)に再建された。
本殿のある丘の下に湧水があったが、阪神・淡路大震災で涸れてしまった。
古来より、この神社の前を、離縁を恐れて花嫁行列は通らない。女神が嫉妬するからだと言われているが、縁切りでも有名で、様々な縁切の方法が伝えられている。
夏季大祭が7月13日・14日、秋季大祭が10月9日・10日。
【ご利益】
縁切り、良縁、厄災除け、諸願成就
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