東日本大震災を予言した神代からの「竈」が塩竈の由来、鹽竈神社の境外末社
[住所]宮城県塩竈市本町6-1
[電話]022-367-1611
御釜神社(おかまじんじゃ)は、宮城県塩竈市本町にある神社。鹽竈神社の境外末社である。「塩竈」の地名の由来ともなった神竈とその神事で知られている。参拝すれば、御朱印を頂ける。
御祭神は鹽土老翁神。創建時期は不詳。境内には4口の竈が安置されており、『鹽竈社神籍』では、これらの竈は神代において鹽土老翁神が海水を煮て製塩する方法を人に教えた時のものと伝える。
鎌倉時代の『遊行聖人縁起絵』には塩竈津の風景に2口の竈が描かれており、この頃にはすでに塩竈のシンボルとして、当社の竈が認識されたと見られる。
陸奥国国府・鎮守府が設置された多賀城の創建の頃、当社では竈を使って塩作りが行われていたという。この古代製塩は、現在も続く特殊神事の「藻塩焼神事」に面影を残す。
『鹽竈社址審定考』では、鹽竈神社は元はこの御釜神社の地に鎮座し、仙台藩初代藩主伊達政宗が慶長12年(1607年)に現在の一森山に遷座させたとする。しかし『鹽竈神社』では、この説に否定的な見解を示している。
4代藩主伊達綱村治世の記録である『肯山公治家記録』や『塩竈町方留書』には、竈の水色の変化によってト占が行われていたことが記録されている。
『塩竈町方留書』によれば、少なくとも寛永13年(1636年)からト占が行われ、その後も竈の水の変色が幾度もあったという。竈の水の変色は吉事あるいは凶事が起こる前兆といわれた。
これは現在でも、2011年3月11日午前8時ごろ、普段はサビのような赤褐色に濁っていた水が、きれいに澄んだ水に変わっていたという証言がある。まさに東日本大震災の朝のことである。
なお、この神竈は、兵庫県の生石神社の石の宝殿、宮崎県の霧島東神社の天逆鉾とともに「日本三奇」と称される。
境内社に牛石藤鞭社がある。その脇の池中に「牛石」と称される霊石がある。『別当法蓮寺記』および『鹽社由来追考』によれば、鹽土老翁神が海水を煮て製塩する方法を人に教えた際、塩を運ばせた牛が石と化したという。
神竈より巽の方角に50歩ほどの人家の裏、土中に背のみが見え、知らずに不浄をなすと祟るので柵で囲っている、と記録されている。これを信じる家には疫病を入れず、人の手足の煩いを除き、牛馬の病を癒すと伝えられている。
毎年7月10日の鹽竈神社例祭の際、3座の神前に御供えする神饌を調進するため、7月4日から7月6日の3日間に渡って「藻塩焼神事(もしおやきしんじ)」が当社で行われる。
神事の起源は不明であるが、古代まで遡るものと考えられており、古代の一連の製塩に関する行事を現代に伝えるものとなっている。
神事は藻刈・御水替・藻塩焼の3つの部分からなり、総じて「藻塩焼神事」として宮城県指定無形民俗文化財に指定されている。また、四口の神釜は市指定文化財。
【ご利益】
商売繁盛、病気平癒、吉凶判断、諸願成就

【関連記事】
・日本三奇 - 宮城御釡神社の神竈、兵庫生石神社の石の宝殿、宮崎霧島東神社の天逆鉾
・宮城県の神社 - 本サイトに掲載されている神社で、宮城県に鎮座している神社の一覧
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御釜神社(おかまじんじゃ)は、宮城県塩竈市本町にある神社。鹽竈神社の境外末社である。「塩竈」の地名の由来ともなった神竈とその神事で知られている。参拝すれば、御朱印を頂ける。
御祭神は鹽土老翁神。創建時期は不詳。境内には4口の竈が安置されており、『鹽竈社神籍』では、これらの竈は神代において鹽土老翁神が海水を煮て製塩する方法を人に教えた時のものと伝える。
鎌倉時代の『遊行聖人縁起絵』には塩竈津の風景に2口の竈が描かれており、この頃にはすでに塩竈のシンボルとして、当社の竈が認識されたと見られる。
陸奥国国府・鎮守府が設置された多賀城の創建の頃、当社では竈を使って塩作りが行われていたという。この古代製塩は、現在も続く特殊神事の「藻塩焼神事」に面影を残す。
『鹽竈社址審定考』では、鹽竈神社は元はこの御釜神社の地に鎮座し、仙台藩初代藩主伊達政宗が慶長12年(1607年)に現在の一森山に遷座させたとする。しかし『鹽竈神社』では、この説に否定的な見解を示している。
4代藩主伊達綱村治世の記録である『肯山公治家記録』や『塩竈町方留書』には、竈の水色の変化によってト占が行われていたことが記録されている。
『塩竈町方留書』によれば、少なくとも寛永13年(1636年)からト占が行われ、その後も竈の水の変色が幾度もあったという。竈の水の変色は吉事あるいは凶事が起こる前兆といわれた。
これは現在でも、2011年3月11日午前8時ごろ、普段はサビのような赤褐色に濁っていた水が、きれいに澄んだ水に変わっていたという証言がある。まさに東日本大震災の朝のことである。
なお、この神竈は、兵庫県の生石神社の石の宝殿、宮崎県の霧島東神社の天逆鉾とともに「日本三奇」と称される。
境内社に牛石藤鞭社がある。その脇の池中に「牛石」と称される霊石がある。『別当法蓮寺記』および『鹽社由来追考』によれば、鹽土老翁神が海水を煮て製塩する方法を人に教えた際、塩を運ばせた牛が石と化したという。
神竈より巽の方角に50歩ほどの人家の裏、土中に背のみが見え、知らずに不浄をなすと祟るので柵で囲っている、と記録されている。これを信じる家には疫病を入れず、人の手足の煩いを除き、牛馬の病を癒すと伝えられている。
毎年7月10日の鹽竈神社例祭の際、3座の神前に御供えする神饌を調進するため、7月4日から7月6日の3日間に渡って「藻塩焼神事(もしおやきしんじ)」が当社で行われる。
神事の起源は不明であるが、古代まで遡るものと考えられており、古代の一連の製塩に関する行事を現代に伝えるものとなっている。
神事は藻刈・御水替・藻塩焼の3つの部分からなり、総じて「藻塩焼神事」として宮城県指定無形民俗文化財に指定されている。また、四口の神釜は市指定文化財。
【ご利益】
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