ヤマトタケルが妃ミヤズヒメの居館に船で渡った地、10月例祭に御船流神事
[住所]愛知県名古屋市緑区鳴海町乙子山85
[電話]052-891-2830
成海神社(なるみじんじゃ)は、愛知県名古屋市緑区にある神社。参拝すれば、御朱印を頂ける。オリジナルの御朱印帳がある。
『延喜式神名帳』にある「成海神社(尾張国・愛智郡)」に比定される式内社(小社)。近代社格では県社。
「鳴海天神」、あるいは熱田神宮の東宮として、「東宮大明神」とも呼ばれていた。主祭神は日本武尊。主祭神の妃である宮簀媛命、その兄で主祭神の部下にあたる建稲種命を配祀する。
創建は朱鳥元年(686年)、草薙の剣が熱田に還座(草薙剣盗難事件)した時に、日本武尊の縁由により鎮座したと伝わる。
『熱田大神宮御鎮座次第本紀』には、事件を契機に日本武尊東征の縁故の地に創祀した10の神社が記載されているという。そのうちの一社が当社。
創建当初は今より南の地、扇川に面した天神山に鎮座していたが、応永元年(1394年)、足利氏の武将安原宗範により根古屋城(鳴海城)が築かれ、現在の乙子山に遷座。
現在の城跡公園の東、城跡内には境外社である天神社が鎮座している。当社の例祭では御旅所となる。
旧址天神山の南には天白川支流の扇川が流れており、往古は洲一帯に「鳴海潟」という浜があった。天神社には日本武尊が鳴海潟で詠んだ御歌を刻んだ石碑がある。
寛平2年(890年)の『熱田大神縁起』には鳴海に関する日本武尊の御歌が四首収録されているが、東征からの帰還に際し、日本武尊は鳴海潟から火高まで船で渡ったという。
毎年10月10日(近年は同日に近い日曜日)の例祭では、この神話にちなみ、御神霊を旧址に渡御し、木片一片を御船として扇川に流す御船流神事を行う。
近隣に鳴海八幡宮がある。かつて双方の祭礼が同じ日に行われ、鳴海祭として賑わったが、元禄13年(1700年)、両社の間で祭礼論争が起き、それ以後、表方(鳴海八幡宮)・裏方(当社)に分かれて、別々に行われるようになった。
鳴海裏方祭とも呼ばれ、4台の山車が町内を練り歩いた後、当社に勢揃いする。
天神社の他、摂末社に、神明社、熊野日向社、宝田社、白山社、山神社、道祖祓島社、御井社、日割金刀比羅社、今宮社、氷上社・源大夫社合殿、八幡社、八劔社、住吉社、多賀社、愛宕社、風神社、北野社、子安社などがある。
社宝として、弘治3年(1557年)の今川義元社領安堵状がある。
なお、『神道集』の「児持山大明神の事」に「尾張国熱田で産所を貸してくれた宿の女房も神道の法を授かり、鳴海の浦の鳥居明神と成った」とある、鳥居明神を当社に比定する説がある。
【ご利益】
縁結び、夫婦和合

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[電話]052-891-2830
成海神社(なるみじんじゃ)は、愛知県名古屋市緑区にある神社。参拝すれば、御朱印を頂ける。オリジナルの御朱印帳がある。
『延喜式神名帳』にある「成海神社(尾張国・愛智郡)」に比定される式内社(小社)。近代社格では県社。
「鳴海天神」、あるいは熱田神宮の東宮として、「東宮大明神」とも呼ばれていた。主祭神は日本武尊。主祭神の妃である宮簀媛命、その兄で主祭神の部下にあたる建稲種命を配祀する。
創建は朱鳥元年(686年)、草薙の剣が熱田に還座(草薙剣盗難事件)した時に、日本武尊の縁由により鎮座したと伝わる。
『熱田大神宮御鎮座次第本紀』には、事件を契機に日本武尊東征の縁故の地に創祀した10の神社が記載されているという。そのうちの一社が当社。
創建当初は今より南の地、扇川に面した天神山に鎮座していたが、応永元年(1394年)、足利氏の武将安原宗範により根古屋城(鳴海城)が築かれ、現在の乙子山に遷座。
現在の城跡公園の東、城跡内には境外社である天神社が鎮座している。当社の例祭では御旅所となる。
旧址天神山の南には天白川支流の扇川が流れており、往古は洲一帯に「鳴海潟」という浜があった。天神社には日本武尊が鳴海潟で詠んだ御歌を刻んだ石碑がある。
奈留美良乎 美也礼皮止保志 比多加知尓 己乃由不志保尓 和多良牟加毛御歌にある「火高(大高)」とは尾張国造城館の所在地で、日本武尊の妃である宮簀媛命が住んでいた。現在、同地には熱田神宮境外摂社氷上姉子神社がある。
鳴海浦を見やれば遠し火高地にこの夕潮に渡らへむかも
寛平2年(890年)の『熱田大神縁起』には鳴海に関する日本武尊の御歌が四首収録されているが、東征からの帰還に際し、日本武尊は鳴海潟から火高まで船で渡ったという。
毎年10月10日(近年は同日に近い日曜日)の例祭では、この神話にちなみ、御神霊を旧址に渡御し、木片一片を御船として扇川に流す御船流神事を行う。
近隣に鳴海八幡宮がある。かつて双方の祭礼が同じ日に行われ、鳴海祭として賑わったが、元禄13年(1700年)、両社の間で祭礼論争が起き、それ以後、表方(鳴海八幡宮)・裏方(当社)に分かれて、別々に行われるようになった。
鳴海裏方祭とも呼ばれ、4台の山車が町内を練り歩いた後、当社に勢揃いする。
天神社の他、摂末社に、神明社、熊野日向社、宝田社、白山社、山神社、道祖祓島社、御井社、日割金刀比羅社、今宮社、氷上社・源大夫社合殿、八幡社、八劔社、住吉社、多賀社、愛宕社、風神社、北野社、子安社などがある。
社宝として、弘治3年(1557年)の今川義元社領安堵状がある。
なお、『神道集』の「児持山大明神の事」に「尾張国熱田で産所を貸してくれた宿の女房も神道の法を授かり、鳴海の浦の鳥居明神と成った」とある、鳥居明神を当社に比定する説がある。
【ご利益】
縁結び、夫婦和合

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