神武天皇皇后とその母の一族を奉斎、鴨氏と三島勢力との交流うかがえる式内社
[住所]大阪府茨木市五十鈴町9-21
[電話]072-634-8297
溝咋神社(みぞくいじんじゃ)は、大阪府茨木市にある神社。参拝すれば、御朱印を頂ける。
『延喜式』巻9・10神名帳 畿内神 摂津国 島下郡「溝咋神社」に比定される式内社(小社)。近代社格では府社。
主祭神は、初代神武天皇の皇后媛蹈鞴五十鈴媛命と、その母である玉櫛媛命。相殿に、溝咋耳命・天日方奇日方命・速素盞鳴尊・天児屋根命を祀る。
創建は不詳。社伝では、第10代崇神天皇の頃に創建された。当社では三島溝咋耳一族を祀っており、『古事記』『日本書紀』の諸伝承との関係が指摘される。
『古事記』神武天皇段では、大物主神が勢夜陀多良比売(玉櫛媛)を見染め、丹塗矢に化して比売の陰部を突く。そうして生まれたのが富登多多良伊須須岐比売命(媛蹈鞴五十鈴媛命)である。
当社の境内摂社には大物主神でなく事代主神が祀られており、事代主神を奉祀する鴨氏と三島勢力との交流が指摘されており、実際、周辺には三島鴨神社・鴨神社や、鴨村・鴨林といった地名が残る。
社伝によれば、当地には平城天皇皇子・阿保親王の位田があった。天長年間(824年-834年)の旱魃の際、親王は奏請して鏡を賜り、雨乞いを行なったところ大雨が降ったという。
現在も残る神宝の「暁の御鏡」(二神二獣鏡)がその時の鏡だと伝わる。
古くは、東北約500メートルの位置(高槻市学園町)に「上の宮」があって媛蹈鞴五十鈴媛命が祀られており、現在の境内は「下の宮」として玉櫛媛命が祀られていたという。
分かれた時期は明らかでないが、室町時代の嘉吉元年(1441年)の古文書には上宮・下宮の地名が見える。以後明治42年(1909年)の合祀まで2宮で祭祀が行なわれていた。
社殿は文明9年(1477年)に領主・溝咋兵庫介質信が再建し、文禄年間(1592年-1596年)には長谷川式部少輔之が再建した。現在の社殿は寛保2年(1742年)に米屋右衛門・米屋喜兵衛が造営したもの。
明治維新まで、境内には神宮寺として密教山不動院名蓮寺(真言宗高野山派)があった。明治5年(1872年)、村社に列し、明治40年(1907年)には神饌幣帛料供進社に指定された。
明治42年(1909年)に二階堂字星見の天満神社(菅原道真)、明治43年(1910年)には大字目垣の荒神社(軻遇突知神・中津彦神・中津比賣神)を境内に移転。昭和16年(1941年)に府社に昇格した。
例祭は春季例祭が5月5日、秋季大祭が10月14日。1月15日にはとんど祭があり、2月3日が節分祭。4月第2日曜日に稲荷祭が行われる。4月第3日曜日が荒神祭。
末社に、天照皇大神社・保食神社・手力雄神社・木花開耶姫命社がある。
【ご利益】
縁結び、子宝・安産、家内安全

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[電話]072-634-8297
溝咋神社(みぞくいじんじゃ)は、大阪府茨木市にある神社。参拝すれば、御朱印を頂ける。
『延喜式』巻9・10神名帳 畿内神 摂津国 島下郡「溝咋神社」に比定される式内社(小社)。近代社格では府社。
主祭神は、初代神武天皇の皇后媛蹈鞴五十鈴媛命と、その母である玉櫛媛命。相殿に、溝咋耳命・天日方奇日方命・速素盞鳴尊・天児屋根命を祀る。
創建は不詳。社伝では、第10代崇神天皇の頃に創建された。当社では三島溝咋耳一族を祀っており、『古事記』『日本書紀』の諸伝承との関係が指摘される。
『古事記』神武天皇段では、大物主神が勢夜陀多良比売(玉櫛媛)を見染め、丹塗矢に化して比売の陰部を突く。そうして生まれたのが富登多多良伊須須岐比売命(媛蹈鞴五十鈴媛命)である。
当社の境内摂社には大物主神でなく事代主神が祀られており、事代主神を奉祀する鴨氏と三島勢力との交流が指摘されており、実際、周辺には三島鴨神社・鴨神社や、鴨村・鴨林といった地名が残る。
社伝によれば、当地には平城天皇皇子・阿保親王の位田があった。天長年間(824年-834年)の旱魃の際、親王は奏請して鏡を賜り、雨乞いを行なったところ大雨が降ったという。
現在も残る神宝の「暁の御鏡」(二神二獣鏡)がその時の鏡だと伝わる。
古くは、東北約500メートルの位置(高槻市学園町)に「上の宮」があって媛蹈鞴五十鈴媛命が祀られており、現在の境内は「下の宮」として玉櫛媛命が祀られていたという。
分かれた時期は明らかでないが、室町時代の嘉吉元年(1441年)の古文書には上宮・下宮の地名が見える。以後明治42年(1909年)の合祀まで2宮で祭祀が行なわれていた。
社殿は文明9年(1477年)に領主・溝咋兵庫介質信が再建し、文禄年間(1592年-1596年)には長谷川式部少輔之が再建した。現在の社殿は寛保2年(1742年)に米屋右衛門・米屋喜兵衛が造営したもの。
明治維新まで、境内には神宮寺として密教山不動院名蓮寺(真言宗高野山派)があった。明治5年(1872年)、村社に列し、明治40年(1907年)には神饌幣帛料供進社に指定された。
明治42年(1909年)に二階堂字星見の天満神社(菅原道真)、明治43年(1910年)には大字目垣の荒神社(軻遇突知神・中津彦神・中津比賣神)を境内に移転。昭和16年(1941年)に府社に昇格した。
例祭は春季例祭が5月5日、秋季大祭が10月14日。1月15日にはとんど祭があり、2月3日が節分祭。4月第2日曜日に稲荷祭が行われる。4月第3日曜日が荒神祭。
末社に、天照皇大神社・保食神社・手力雄神社・木花開耶姫命社がある。
【ご利益】
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