旧河内国、楠木正成が再建した全国唯一の形式の本殿が現存、金剛山鎮守
[住所]大阪府南河内郡千早赤阪村水分357
[電話]0721-72-0534
建水分神社(たけみくまりじんじゃ)は、大阪府南河内郡千早赤阪村水分にある神社。参拝すれば、御朱印を頂ける。
『延喜式』巻9・10神名帳 畿内神 河内国 石川郡「建水分神社」に比定される式内社(小社)。近代社格では府社。
通称は水分神社(すいぶんじんじゃ)。水分大明神、上水分社(うえのすいぶんのやしろ)とも。古来より金剛山鎮守として、また楠木氏の氏神として崇敬された。
上水分社の呼称は、富田林市宮町の美具久留御魂神社を下水分社と称するのに対応したものである。
中殿に天御中主神、左殿に天水分神・罔象女神、右殿に国水分神・瀬織津姫神を祀る。このうち天御中主神以外は水神である。
社伝によれば、第10代崇神天皇5年、諸国が飢饉となった時、各地に溜池や溝を作ることが進められたが、その際、金剛葛城の山麓に水分神が祀られたのに始まる。
もとの鎮座地は現在地より北約100メートルの水越川のほとりにあったが、南北朝時代に兵火にかかり、荒廃した。
このため建武元年(1334年)、後醍醐天皇の勅命を受けた楠木正成が、現在地に本殿、拝殿、鐘楼などを再建し遷座した。延元2年(1337年)4月27日、最高位である正一位の神階を授けられた。
この本殿は現存しており、現在は国の重要文化財に指定されている。三殿で構成されている。構造の細部も優秀巧緻で建築上の模範とされる。
中殿は一間社春日造、左右両殿は二間社流造、各殿を渡廊で連結するという全国でも唯一の珍しい様式で、「水分造」とも呼ばれている。
楠木正成は勅を奉じ征賊の軍を起こすに当たり、当社への祈念厚く、下記の歌が残されている。
明治6年(1873年)、付近18ヵ村の総鎮守産土神として郷社に列格。明治40年(1907年)に神饌幣帛供進社に指定され、氏子地域内の17神社を合祀、大正2年(1913年)に府社に昇格した。
日本海軍が太平洋戦争で使用した唯一の外国製日本戦艦で、昭和19年(1944年)11月21日に沈没した「金剛」の艦内神社には、当社の御祭神が勧請された。異論もある。
しかし、艦艇を擬人化したキャラクタである艦娘(かんむす)を強化・育成、正体不明の敵艦を撃破していくゲーム・アニメ『艦これ』ゆかり。
「金剛」の艦内神社は、伊勢の神宮(伊勢神宮)の皇大神宮(内宮)や明治神宮も勧請している。なお、その名を引き継いだ海上自衛隊のミサイル護衛艦「こんごう」の艦内神社には葛木神社が分祀している。
例祭は4月25日が春祭で南河内の三大春事の一つ、「くすのきさん」と親しまれ、様々な奉納行事がある。
10月第3土曜日が秋祭で、御神輿渡御祭、通称比叡前と呼ばれる御旅所へ神幸する。富田林市・河南町・千早赤阪村の各氏子地区より20台近くの地車(だんじり)が宮入りする壮観なもの。
南河内だんじり祭りの一つで、その代表的なもの。中津神社でも同時に祭典が行われる。
摂社に、延元2年(1337年)4月に創建された南木神社(なぎじんじゃ。楠木正成公(大楠公))、末社に、金峯神社(天照大御神)がある。
【ご利益】
五穀豊穣・商売繁盛、病気平癒など(公式HP)

【関連記事】
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[電話]0721-72-0534
建水分神社(たけみくまりじんじゃ)は、大阪府南河内郡千早赤阪村水分にある神社。参拝すれば、御朱印を頂ける。
『延喜式』巻9・10神名帳 畿内神 河内国 石川郡「建水分神社」に比定される式内社(小社)。近代社格では府社。
通称は水分神社(すいぶんじんじゃ)。水分大明神、上水分社(うえのすいぶんのやしろ)とも。古来より金剛山鎮守として、また楠木氏の氏神として崇敬された。
上水分社の呼称は、富田林市宮町の美具久留御魂神社を下水分社と称するのに対応したものである。
中殿に天御中主神、左殿に天水分神・罔象女神、右殿に国水分神・瀬織津姫神を祀る。このうち天御中主神以外は水神である。
社伝によれば、第10代崇神天皇5年、諸国が飢饉となった時、各地に溜池や溝を作ることが進められたが、その際、金剛葛城の山麓に水分神が祀られたのに始まる。
もとの鎮座地は現在地より北約100メートルの水越川のほとりにあったが、南北朝時代に兵火にかかり、荒廃した。
このため建武元年(1334年)、後醍醐天皇の勅命を受けた楠木正成が、現在地に本殿、拝殿、鐘楼などを再建し遷座した。延元2年(1337年)4月27日、最高位である正一位の神階を授けられた。
この本殿は現存しており、現在は国の重要文化財に指定されている。三殿で構成されている。構造の細部も優秀巧緻で建築上の模範とされる。
中殿は一間社春日造、左右両殿は二間社流造、各殿を渡廊で連結するという全国でも唯一の珍しい様式で、「水分造」とも呼ばれている。
楠木正成は勅を奉じ征賊の軍を起こすに当たり、当社への祈念厚く、下記の歌が残されている。
久方の 天津朝廷の 安かれと 祈るは國の 水分の神中世、織田信長軍の河内国攻略の際に社領を没収され一時衰退するが、豊臣秀吉が社領を寄進し、復旧された。
明治6年(1873年)、付近18ヵ村の総鎮守産土神として郷社に列格。明治40年(1907年)に神饌幣帛供進社に指定され、氏子地域内の17神社を合祀、大正2年(1913年)に府社に昇格した。
日本海軍が太平洋戦争で使用した唯一の外国製日本戦艦で、昭和19年(1944年)11月21日に沈没した「金剛」の艦内神社には、当社の御祭神が勧請された。異論もある。
しかし、艦艇を擬人化したキャラクタである艦娘(かんむす)を強化・育成、正体不明の敵艦を撃破していくゲーム・アニメ『艦これ』ゆかり。
「金剛」の艦内神社は、伊勢の神宮(伊勢神宮)の皇大神宮(内宮)や明治神宮も勧請している。なお、その名を引き継いだ海上自衛隊のミサイル護衛艦「こんごう」の艦内神社には葛木神社が分祀している。
例祭は4月25日が春祭で南河内の三大春事の一つ、「くすのきさん」と親しまれ、様々な奉納行事がある。
10月第3土曜日が秋祭で、御神輿渡御祭、通称比叡前と呼ばれる御旅所へ神幸する。富田林市・河南町・千早赤阪村の各氏子地区より20台近くの地車(だんじり)が宮入りする壮観なもの。
南河内だんじり祭りの一つで、その代表的なもの。中津神社でも同時に祭典が行われる。
摂社に、延元2年(1337年)4月に創建された南木神社(なぎじんじゃ。楠木正成公(大楠公))、末社に、金峯神社(天照大御神)がある。
【ご利益】
五穀豊穣・商売繁盛、病気平癒など(公式HP)

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