後白河上皇の命で日吉山王七社を勧請して創建、5月第2日曜日が新日吉祭
[住所]京都府京都市東山区妙法院前側町451-1
[電話]075-561-3769
新日吉神宮(いまひえじんぐう)は、京都府京都市東山区にある神社。近代社格では府社。現在は神社本庁に属さない単立神社となっている。参拝すれば、御朱印を頂ける。
社伝によれば、永暦元年(1160年)、後白河上皇の命により、院の御所(法住寺殿)の鎮守社として、坂本の日吉山王七社(現 日吉大社)を勧請して創建。
日吉山王七神として、大山咋命・大己貴命・玉依比売命・大山咋命荒魂・田心比売命・菊理比売命・玉依比売命荒魂を祀る。現在は相殿に素盞嗚尊・大年神を奉斎する。
古くから朝廷の崇敬が厚く、後白河上皇の親拝は108度に及んだといわれ、歴代の数多くの天皇の遺物や宸筆を蔵している。
当初は智積院南側に創建されたが、元和元年(1615年)、豊国廟の破却とともに旧廟前に移り、明治30年(1897年)に豊国廟が再興され、当社も現在地に移った。
なお豊国廟に関連して、その社殿は、明治13年(1880年)、旧方広寺大仏殿の地に、豊国神社として再建されている。
もとは新日吉社と呼ばれたが、明治以降は新日吉神社となる。昭和33年(1958年)、後白河天皇を増祀し、翌昭和34年(1959年)に現社号に改めた(参考:神宮号とは?)。
社殿は応仁の乱の兵火で焼け、その後しばしば増改築が行われたが、現在の本殿は、天保6年(1835年)の改築で、大きな流造である。
寛政10年(1798年)に妙法院から境内の樹下社に寄進された、長谷川等伯の筆と伝わる豊臣秀吉の肖像画保存されている。
また、江戸後期の小沢蘆庵をはじめ、多くの文学者の稿本など近世文学の資料を蘆庵文庫として宮司家が保存している。
例祭は10月16日。5月第2日曜日が新日吉祭。新日吉小五月会(こさきのまつり)として古くから伝わる行事で、神幸出立祭の後、馬場御供(鳳輦前で妙法院門跡による御法楽の儀)、続いて行列が氏子地を巡行する。
【ご利益】
酒造、医薬、縁結びの神

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新日吉神宮(いまひえじんぐう)は、京都府京都市東山区にある神社。近代社格では府社。現在は神社本庁に属さない単立神社となっている。参拝すれば、御朱印を頂ける。
社伝によれば、永暦元年(1160年)、後白河上皇の命により、院の御所(法住寺殿)の鎮守社として、坂本の日吉山王七社(現 日吉大社)を勧請して創建。
日吉山王七神として、大山咋命・大己貴命・玉依比売命・大山咋命荒魂・田心比売命・菊理比売命・玉依比売命荒魂を祀る。現在は相殿に素盞嗚尊・大年神を奉斎する。
古くから朝廷の崇敬が厚く、後白河上皇の親拝は108度に及んだといわれ、歴代の数多くの天皇の遺物や宸筆を蔵している。
当初は智積院南側に創建されたが、元和元年(1615年)、豊国廟の破却とともに旧廟前に移り、明治30年(1897年)に豊国廟が再興され、当社も現在地に移った。
なお豊国廟に関連して、その社殿は、明治13年(1880年)、旧方広寺大仏殿の地に、豊国神社として再建されている。
もとは新日吉社と呼ばれたが、明治以降は新日吉神社となる。昭和33年(1958年)、後白河天皇を増祀し、翌昭和34年(1959年)に現社号に改めた(参考:神宮号とは?)。
社殿は応仁の乱の兵火で焼け、その後しばしば増改築が行われたが、現在の本殿は、天保6年(1835年)の改築で、大きな流造である。
寛政10年(1798年)に妙法院から境内の樹下社に寄進された、長谷川等伯の筆と伝わる豊臣秀吉の肖像画保存されている。
また、江戸後期の小沢蘆庵をはじめ、多くの文学者の稿本など近世文学の資料を蘆庵文庫として宮司家が保存している。
例祭は10月16日。5月第2日曜日が新日吉祭。新日吉小五月会(こさきのまつり)として古くから伝わる行事で、神幸出立祭の後、馬場御供(鳳輦前で妙法院門跡による御法楽の儀)、続いて行列が氏子地を巡行する。
【ご利益】
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