出雲の四大大神の一つ、弥生期からの住居跡遺跡や円墳などがある風土記記載社
[住所]島根県安来市能義町366
[電話]0854-23-7667 - 安来市観光協会

能義神社(のきじんじゃ)は、島根県安来市能義町にある神社。御朱印の有無は不明。

『延喜式神名帳』にある「野城神社(出雲国・意宇郡)」や「天穗日命神社(出雲国・能義郡)」に比定される式内社(小社)の論社。近代社格では県社

『出雲国風土記』意宇郡野城駅条に野城大神が登場し、同じく意宇郡条の在神祇官社の「野城社」だと考えられる。

『出雲国風土記』に「大神」とあるのは、熊野大神所造天下大神佐太大神と当社のみであり、出雲の四大大神の一つ。現在は能義大神とも表記される。

『日本三代実録』になると、能義神と見え、神階は貞観9年(867年)に従五位上、貞観13年(871年)に正五位下とされている。

主祭神は天穂日命。出雲にゆかり深い神であり、野城大神と同神と思われる。

『延喜式神名帳』の出雲国意宇郡にある式内社「同社坐大穴持神社」の御祭神・大己貴命と、同じく式内社「同社坐大穴持御子神社」の御祭神・事代主命を配祀する。

境内地には弥生時代から古墳時代にかけての住居跡と見られる能義神社遺跡があり、また近隣には能義神社奥院古墳をはじめとして円墳が数基あって、かなり早い段階から開かれた地域であることは間違いない。

往時は相当な大社であったことは間違いないが、慶長16年(1611年)の火災で社殿を消失した時に古記録も失われた。毛利氏に代わって出雲を治めた堀尾氏によって現在の社殿が再建された。

近世には能義郡の総社として崇敬を集めた。明治4年(1871年)に郷社に、その後明治6年(1873年)に県社に昇格した。

明治41年(1908年)、村松鎮座の八幡宮、金刀比羅神社、山王神社を合祀した。現在の合祀神は、誉田別命息長足姫命経津主命国常立命・国狭土命(国狭槌尊)・伊弉冉命玉依姫命・順徳天皇・神皇魂命惶根命

例祭は10月19日。6月5日には御田植祭があり、7月31日が夏祭り。

なお、式内社「天穗日命神社」の論社は他に、市内吉佐町の支布佐神社、切川町の切川神社がある。

【ご利益】
商売繁盛、家内安全
能義神社 - 出雲の四大大神の一つ、弥生期からの住居跡遺跡や円墳などがある風土記記載社
【関連記事】
出雲の四大大神 - 『出雲国風土記』に記載された中で「大神」と尊称された四柱の神々
島根県の旧県社 | 府県社とは? - 旧県社(縣社)・旧府社、その都道府県の中で有力な神社
島根県の神社 - 本サイトに掲載されている神社で、島根県に鎮座している神社の一覧