勝海舟、吉田松陰、坂本龍馬らの師である佐久間象山を祀る、昭和創建の県社
[住所]長野県長野市松代町松代1502
[電話]026-278-2461

象山神社(ぞうざんじんじゃ)は、長野県長野市松代町にある神社。近代社格では県社。幕末の松代藩士で思想家の佐久間象山を祀る。参拝すれば、御朱印を頂ける。

佐久間象山の名は一般的には「しょうざん」と読まれるが、地元長野県では「ぞうざん」と呼び習わされており、社名も「ぞうざんじんじゃ」と読む。「しょうざんじんじゃ」とは読まない。

佐久間象山は、文化8年(1811年)2月28日、信濃松代藩士・佐久間一学国善の長男として信濃埴科郡松代字浦町で生まれる。15歳で佐藤一斎の門下生であった鎌原桐山に入門して経書を学ぶなど学問を修めた。

文政11年(1828年)、家督を継ぎ、天保2年(1831年)3月に藩主の真田幸貫の世子である真田幸良の近習・教育係に抜擢された。ただし、同年5月には高齢の父に対する孝養に専念するため辞任している。

天保4年(1833年)11月に江戸に出て、当時の儒学の第一人者・佐藤一斎に詩文・朱子学を学び、山田方谷と共に「二傑」と称されるに至る。

天保13年(1842年)、象山が仕える松代藩主真田幸貫が老中兼任で海防掛に任ぜられると象山は顧問に抜擢され、アヘン戦争(1840年-1842年)での清とイギリスとの混沌した海外情勢を研究、魏源『海国図志』などを元に『海防八策』を上書。

これを機に蘭学の修得の必要に目覚め、弘化元年(1844年)、オランダ語をはじめ、オランダの自然科学書、医書、兵書などの精通に努めた。兵学も学び、西洋砲術家としての名声を得る。

嘉永2年(1849年)、日本初の指示電信機による電信を行ったほか、ガラスの製造や地震予知器の開発に成功、更には牛痘種の導入も企図していたという。

嘉永4年(1851年)には、再び江戸に移住して木挽町に「五月塾」を開き、砲術・兵学を教えた。ここに勝海舟、吉田松陰、坂本龍馬ら後の俊才が続々と入門している。

嘉永7年(1854年)、門弟の吉田松陰が再び来航したペリーの艦隊で密航を企て失敗するという事件が起こり、これに象山も連座、伝馬町牢屋敷に入獄された。その後、松代での蟄居を余儀なくされる。

元治元年(1864年)、象山は一橋慶喜に招かれて上洛、慶喜に公武合体論と開国論を説いた。「西洋かぶれ」とされた象山には、尊皇攘夷の急進派があふれていた当時の京は危険な場所であり、事実同年7月11日、三条木屋町で暗殺される。享年54歳。

当社は、大正2年(1913年)の象山殉難五十年祭を機に、地元松代町出身の大審院長・横田秀雄を中心に神社建立が計画され、昭和13年(1938年)11月3日、県社として創建された。

社地は旧佐久間象山邸であり、境内には佐久間象山蟄居先の別棟である高義亭、晩年に過ごした煙雨楼の茶室である煙雨亭など象山ゆかりの建物が松代町内や京都から移築されている。

本殿、宝殿、拝殿・祝詞殿、斎館、絵馬殿、社務所が国の登録有形文化財。庭園・心の池が国の登録記念物となっている。

例祭は春季例大祭が4月11日、秋季例大祭が10月11日。象山の生誕祭が2月11日、命日祭が7月11日。

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象山神社 - 勝海舟、吉田松陰、坂本龍馬らの師である佐久間象山を祀る、昭和創建の県社
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象山神社の御朱印