熊本市域の最古社、京都祇園を勧請し、平安後期には「第二の祇園社」とも
[住所]熊本県熊本市西区春日1-8-16
[電話]096-352-2867

北岡神社(きたおかじんじゃ)は、熊本県熊本市西区にある神社。熊本市域において、藤崎八旛宮と並ぶ由緒を持つ古社。近代社格では県社。参拝すれば、御朱印を頂ける。オリジナルの御朱印帳がある。

御祭神は健速須盞嗚尊奇稲田姫命、八柱御子神として、天忍穂耳命天穂日命天津日子根命活津日子根命熊野久須毘命多紀理毘売命市杵島比売命多岐津比売命を祀る。

福岡県北九州市小倉北区の八坂神社や大阪府大阪市浪速区の難波八阪神社などと同じく、宗像三女神を含む、勧請元とは違う御子神、いわゆる五男三女神を祀る八坂神社となる。

社伝によれば、承平4年(934年)、藤原保昌が肥後国司として下向した際、鎮護のため京都の祇園社(現 八坂神社)の御分霊を湯ノ原(現 熊本市西区二本木)に勧請したのが創祀。

当初、そして今でも祇園宮と称されている。天暦2年(948年)に第62代村上天皇より「拝三山」の勅額を賜る。天元2年(979年)には、花岡山へ遷宮した。

平安時代後期の久寿元年(1154年)、第76代近衛天皇より「顕神院」の勅額とともに、「日本第弐 西九壹社」の尊称と御紋章を下賜された。

この尊称は「日本では京都の御本社に次いで第二の祇園社であり、西の九州では第一の祇園社である」という意味で、現在も御朱印として使われている。

佐々成政領国の頃に衰退し、加藤清正により復旧。のちの細川家代々の藩主より厚い崇敬を受けた。正保4年(1647年)、現在の北岡の社地に遷座した。藤崎八旛宮と宇土市の住吉神社とともに、熊本藩細川氏の崇敬厚い肥後三大社の一つ。

明治元年(1868年)、北岡宮と改め、さらに明治4年(1872年)に現社号に改称した。明治5年(1873年)、県社に列した。明治10年(1877年)の西南戦争の際には、薩摩軍の本営が一時境内に置かれた。

例祭は8月1日-3日で例大祭。往時は祇園祭として神幸行列などが大々的に行われたが、現在神幸行列は廃れ、復興の準備中。しかし、境内では露店などが出て賑わう。

例大祭を前に潔斎し、清めに用いる塩水を取りに行く行事として塩湯取神事が7月29日に斎行される。他に、1月4日には鎮火祭が、1月5日には松囃子神事がある。

境内社に、疫神社(御祭神:蘇民御霊)、京国司神社(祭神:藤原保昌)、清原神社(御祭神:清原元輔)がある。境外社として、肥後国総社とも言われる総社神社がある。

樹齢約1000年の一対の楠である御神木の厄除けの夫婦楠がある。特に厄除開運、夫婦円満、縁結びのご利益を授かると古くより伝わっている。

【ご利益】
厄災除け、開運招福、夫婦円満、縁結びなど(公式HP
北岡神社 - 熊本市域の最古社、京都祇園を勧請し、平安後期には「第二の祇園社」とも
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