江戸近郊の景勝地として知られた十二社の新宿総鎮守、3年ごとの大祭
[住所]東京都新宿区西新宿2-11-2
[電話]03-3343-5521
熊野神社(くまのじんじゃ)は、東京都新宿区西新宿にある、新宿中央公園に隣接している神社。近代社格では郷社。花園神社とともに新宿総鎮守。
新宿熊野神社、十二社熊野神社、新宿十二社権現などとも。参拝すれば、「十二社」などとある御朱印を頂ける。
代々熊野神社の神官を務めた鈴木氏の末裔で、室町時代の紀州出身の商人・鈴木九郎が、現在の中野坂上から西新宿一帯の開拓や馬の売買などで財を成した。
人々から中野長者と呼ばれた九郎が応永年間(1394年-1428年)に創建したのが当社。当初は熊野三山の若一王子を奉斎していたが、その後熊野三山から十二所権現をすべて勧請した。
これが「十二社」(じゅうにそう)のいわれで、現在に至るまで当社付近の地名に十二社が残る。やはり中野長者・九郎によって建てられた寺院が中野区本町の成願寺である。成願寺が当社の別当だった。
境内には目黒独鈷の滝・等々力不動の滝・氷川の滝・上野音羽の滝・王子弁天の滝・王子名主の滝とともに都内七瀑布の一つとされた十二社の滝と呼ばれる大きな滝があった。
また隣接して十二社池と呼ばれていた大小二つの池があり、江戸時代、当社付近は江戸近郊の景勝地として知られていた。8代将軍徳川吉宗が鷹狩のたびに当社を参拝したと伝わる。
江戸時代には熊野十二所権現社と呼ばれ、付近には茶屋や料亭などが立ち並びやがて花街となっていった。最盛期には茶屋や料亭が約100軒も並んでいたという。
その後明治時代に入り現社号に改称。滝や十二社池は淀橋浄水場の造成や付近の開拓により姿を消し、景勝地としての様相は徐々に見られなくなっていき、戦前までに花街としての賑やかさもなくなった。
しかし現在、付近が日本有数の高層ビル街と変貌した新宿一帯の守り神として、人々から変わらない厚い崇敬を受けている。御祭神は櫛御気野大神・伊邪那美大神。
嘉永4年(1851年)に建てられた、十二社を紹介する記念碑である十二社の碑が区指定史跡。
安永2年(1773年)に奉納された七人役者図絵馬と、宝暦14年(1764年)作と弘化4年作(1847年)の二つからなる式三番奉納額、文政3年(1820年)に奉納された水鉢などが区の有形文化財。
例祭は9月。3年ごとに本祭がある。本祭では宮神輿の一之宮・二之宮の2基が千鳥担ぎで「チョイサ、チョイサ」の掛け声の中、長丁場の渡御が行われる。
2011年にドイツで開催された女子サッカーのワールドカップで、なでしこジャパンは見事初優勝を飾るが、ドイツ出発前の新宿のホテルから、選手の何人かが当社を参拝し、当社の勝ち守りを入手して大会に臨んだ、サッカー神社としても知られている。
【ご利益】
商売繁盛、厄災除け、家内安全、交通安全、病気平癒など(公式HP)

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新宿熊野神社、十二社熊野神社、新宿十二社権現などとも。参拝すれば、「十二社」などとある御朱印を頂ける。
代々熊野神社の神官を務めた鈴木氏の末裔で、室町時代の紀州出身の商人・鈴木九郎が、現在の中野坂上から西新宿一帯の開拓や馬の売買などで財を成した。
人々から中野長者と呼ばれた九郎が応永年間(1394年-1428年)に創建したのが当社。当初は熊野三山の若一王子を奉斎していたが、その後熊野三山から十二所権現をすべて勧請した。
これが「十二社」(じゅうにそう)のいわれで、現在に至るまで当社付近の地名に十二社が残る。やはり中野長者・九郎によって建てられた寺院が中野区本町の成願寺である。成願寺が当社の別当だった。
境内には目黒独鈷の滝・等々力不動の滝・氷川の滝・上野音羽の滝・王子弁天の滝・王子名主の滝とともに都内七瀑布の一つとされた十二社の滝と呼ばれる大きな滝があった。
また隣接して十二社池と呼ばれていた大小二つの池があり、江戸時代、当社付近は江戸近郊の景勝地として知られていた。8代将軍徳川吉宗が鷹狩のたびに当社を参拝したと伝わる。
江戸時代には熊野十二所権現社と呼ばれ、付近には茶屋や料亭などが立ち並びやがて花街となっていった。最盛期には茶屋や料亭が約100軒も並んでいたという。
その後明治時代に入り現社号に改称。滝や十二社池は淀橋浄水場の造成や付近の開拓により姿を消し、景勝地としての様相は徐々に見られなくなっていき、戦前までに花街としての賑やかさもなくなった。
しかし現在、付近が日本有数の高層ビル街と変貌した新宿一帯の守り神として、人々から変わらない厚い崇敬を受けている。御祭神は櫛御気野大神・伊邪那美大神。
嘉永4年(1851年)に建てられた、十二社を紹介する記念碑である十二社の碑が区指定史跡。
安永2年(1773年)に奉納された七人役者図絵馬と、宝暦14年(1764年)作と弘化4年作(1847年)の二つからなる式三番奉納額、文政3年(1820年)に奉納された水鉢などが区の有形文化財。
例祭は9月。3年ごとに本祭がある。本祭では宮神輿の一之宮・二之宮の2基が千鳥担ぎで「チョイサ、チョイサ」の掛け声の中、長丁場の渡御が行われる。
2011年にドイツで開催された女子サッカーのワールドカップで、なでしこジャパンは見事初優勝を飾るが、ドイツ出発前の新宿のホテルから、選手の何人かが当社を参拝し、当社の勝ち守りを入手して大会に臨んだ、サッカー神社としても知られている。
【ご利益】
商売繁盛、厄災除け、家内安全、交通安全、病気平癒など(公式HP)

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