船江神社を合祀して船江大神宮と称された「北陸道の人々の崇敬すべき神社」
古町神明宮(新潟県新潟市中央区古町通1番町500番地)
[住所]新潟県新潟市中央区古町通1番町500番地
[電話]025-223-2309

古町神明宮(ふるまちしんめいぐう)は、新潟県新潟市中央区古町通にある神社。正式には神明宮か。

『延喜式神名帳』にある「船江神社(越後国・蒲原郡)」に比定される式内社(小社)の論社・船江神社を合祀、船江大神宮(船江太神宮)とも呼ばれる。近代社格では村社。参拝すれば、御朱印を頂ける。

神明宮の創建は不詳。天正19年(1591年)4月28日、上杉家より米4斗7升2合、社地2000坪の寄進とともに、直江兼続より真筆の「高天ヶ原」の額並びに黒印書が奉納された。

この黒印書により、明治に至るまでの間、諸役が永年免除された。また、同時に御師次太夫が神職として任命された。御祭神は天照大神豊受大神

合祀されている船江神社は、当地がまだ貝操と呼ばれていた頃、第10代崇神天皇10年6月の創祀と言われる。

浜に一隻の船が流れ着き、乗っていた白髪の老人が「私は、猿田彦大神といいます。この里を守護するように遣わされました。これにより末永く産土神として鎮まりましょう」と言ったという。

村人はこの船魂「猿田彦大神」をお祀りするため早速社殿を建立、この時の船が新潟の起源とされ、地名も船得郷と改められた。後に「得」が「江」に転じ、船江大神として崇敬された。

船江神社では創建時から、崇神天皇が地方征討のために派遣した四道将軍の一人、大彦命を祀る。天明4年(1784年)の『温故の栞』には同社を「北陸道の人々の崇敬すべき神社」として取り上げている。

神明宮と船江神社は、天正年間(1573年-1591年)あるいは明暦年間(1655年-1658年)まで、同一境内に鎮座する独立した神社だったという。

元禄年間(1688年-1703年)になると船江大神宮と称されるようになり、文政6年(1823年)2月、京都吉田家より「船江神社」の社号が下賜された。

なお、現在までに式内社「船江神社」の論社は複数あり、新潟市中央区一番堀通町の白山神社や新潟市西区赤塚の神明社がある。

安政5年(1858年)の社殿再築の際、二つの神社が正式に合祀され、船江大神宮に改められた。明治になり、村社に列し、新潟総鎮守とされるようになったという。

例祭は春季が5月17日、秋季が9月17日で、いずれも例大祭。毎年2月3日には節分の追儺祭があり、豆まきが行われる。境内社に八幡宮と白鳥神社がある。

日本のプロサッカーリーグ、Jリーグのアルビレックス新潟が必勝祈願を行う神社である。

【ご利益】
衣・食・住の守護神、水難除け、交通安全など(公式HP
古町神明宮 - 船江神社を合祀して船江大神宮と称された「北陸道の人々の崇敬すべき神社」
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