鎌倉の鬼門、横浜の古社、室町時代から400回以上続くお馬流し神事が有名
[住所]神奈川県横浜市中区本牧和田19
[電話]045-621-7611

本牧神社(ほんもくじんじゃ)は、神奈川県横浜市中区にある神社。旧称は本牧十二天社で、「厄除けとお馬流しの社」。参拝すれば、御朱印を頂ける。

主祭神は大日靈女命(おおひるめのみこと)。相殿神として、建速須佐能男命木花咲耶姫命大山咋命を祀る。

相殿摂神として、明治42年(1909年)に八王子大神(はちおうじおおかみ/おはちょうじさま)を合祀している。相殿末社として、若宮八幡宮・阿夫利神社を祀る。

建久2年(1192年)、源頼朝が鎌倉幕府を開くにあたり、鬼門守護を祈念して平安時代からあった旧社地の神殿に六尺×四尺の朱塗厨子を奉納したという。

別当寺であった多聞院の由緒書によると、弘長3年(1263年)正月元朝、神像が海岸に漂着、郷人が祠宇を建て、本村の総鎮守として奉斎したという。

その神像が大日靈女命(天照大御神)であり、日天、月天、火天、水天、風天、地天、梵天、毘沙門天、大日財天、閻魔天、帝釈天、羅刹天の十二神の仏説十二天に発展し、旧称につながる。

鎌倉将軍惟康親王から社領の寄進を受け、さらに室町時代中期には、関東管領より社領の寄進を受けた。

永禄9年(1566年)から、現在は県無形民俗文化財、及び神奈川県民俗芸能五十選に指定されているお馬流し神事が始まっている。

天正年間(1573年-1593年)、徳川家康の関東入国に際し、12石免の御朱印を拝領、以来、徳川の歴代将軍より「御代々頂戴」とあり、崇敬された。

明治初年の神仏分離令によって、一尺二寸の十二体の天像は分けられ、本体の大日靈女命を祀って現社号に改称した。

もともと本牧岬の先端、現在の本牧十二天一番地に張り出した出島の中に鎮座し、巨古木蒼然たる杜に囲まれ、『江戸名所図会』にも「本牧塙 十二天社」として描かれた。

しかし太平洋戦争で、横浜は大空襲に遭い、終戦直後の昭和21年(1946年)から社地を含む一帯の土地が進駐軍の強制接収となり、本牧町二丁目へした。

仮遷座は平成5年までの47年間にもわたったが、米軍の接収が解除とともに、返還地域一帯は市による区画整理事業が行われ、現在地に落ち着いた。その戦後の歩みは「ハマの戦後復興史」とも称されている。

当社の代名詞であるお馬流し神事は、旧暦6月15日大潮の日に行われていたが、明治以降現在までは8月の第1あるいは第2日曜日に斎行される。室町時代以来、400回以上続く。

もともとは間門、牛込、原、宮原、箕輪、台の旧本牧六ヶ村にちなみ、計六体の「お馬さま」が奉製されていたが、いつの頃か「やぶ」の屋号を持つ羽鳥家の当主が奉製するようになった。

「やぶ」の当主自身が斎戒沐浴し一週間かけて作り上げた「お馬さま」にあらゆる厄災を託して本牧の沖合い数キロの海上に流し去るのがこの神事の趣旨。

一旦放流した「お馬さま」が陸地へ還着することを極度に恐れるため、潮の干満が重視され、大潮の日に行われた。

境内末社に、宇氣の稲荷社(御祭神:宇迦之御魂神)・熊野速玉社・本牧水天宮(御祭神:安徳天皇)・本牧天神社(御祭神:菅原道真)がある。

日本のプロサッカーリーグであるJリーグのY.S.C.C.横浜が必勝祈願を行う神社である。

【ご利益】
厄除け・除災招福・方除け・家内安全・商売繁盛・事業繁栄など(公式HP
本牧神社 - 鎌倉の鬼門、横浜の古社、室町時代から400回以上続くお馬流し神事が有名
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