明治維新の先駆け、暗殺された公家・中山忠光を奉斎、愛新覚羅社
[住所]山口県下関市綾羅木本町7-10-8
[電話]083-253-0704

中山神社(なかやまじんじゃ)は、山口県下関市綾羅木本町にある神社。近代社格では県社。長門国北浦総社である。参拝すれば、御朱印を頂ける。

幕末期に尊王攘夷の立場で活動し、元治元年(1864年)に暗殺された公家の中山忠光が御祭神である。明治維新の先駆けであり、坂本龍馬などと同様、維新を見ずに没した。

境内には忠光の墳墓があり、国の史跡に指定されている。平成7年(1995年)、明治天皇および天照皇大神が合祀された。

慶応元年(1865年)、忠光の鎮魂のため、長州藩の支藩である豊浦藩が墳墓のある場所に社殿を建立し、「中山社」と称したことが創祀。

明治8年(1875年)7月、祭祀および修繕費などが官費支給となる。明治19年(1886年)2月、社号を廃して招魂社となる。

明治19年(1886年)5月には社地を墳墓の東側500メートルの位置に分離。しかし、大正12年(1923年)5月には社地を墳墓に隣接する現在地に移す。

昭和3年(1928年)5月17日、遷座祭を実施。翌18日、現社号が定まり、県社に列せられる。昭和30年(1935年)には別格官幣社へ昇格する機運もあったが実現しなかった。

社殿は昭和3年のものだが、回廊は昭和62年(1987年)に、神門は平成2年(1990年)に、宝物殿が平成8年(1996年)建設された。

例祭は5月第2土・日曜日。忠光の誕生日(旧暦4月13日、新暦5月18日)にちなむ。剣道や相撲大会などが開催される。8月第1土曜日には網曳祭があり、御輿が地区を一巡し、地曳網の神事が行われる。

忠光の命日にあたる11月8日には栗祭・命日墓前祭がある。この日に忠光が栗を食した伝わり、栗を供えて祭事を行う。

境内摂社に愛新覚羅社がある。昭和63年(1988年)の造営。御祭神は清朝最後の皇帝だった愛新覚羅溥儀の弟である愛新覚羅溥傑と、その妻で、忠光の曾孫にあたる嵯峨浩および2人の長女愛新覚羅慧生。社殿は中国大陸に向かって西向き。

慧生は、昭和32年(1957年)、学習院大学在学中、交際していたとされる大久保武道と静岡県の天城山で心中死したとされる。いわゆる天城山心中。享年19歳。

【ご利益】
平穏安寧、家内安全、厄災除け
中山神社(下関市) - 明治維新の先駆け、暗殺された公家・中山忠光を奉斎、愛新覚羅社
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中山神社(下関市)の御朱印