越前の紙祖神川上御前と権現山、和紙の里の全国紙業界の総鎮守
[住所]福井県越前市大滝町23-10
[電話]0778-22-3007 - 越前市観光振興課
大瀧神社・岡太神社(おおたきじんじゃ・おかもとじんじゃ)は、福井県越前市大滝町にある神社。岡太神社・大瀧神社とも呼ばれ、大滝神社と表記されることもある。御朱印の有無は不明。
上宮(奥の院)には大瀧・岡太両神社の本殿が並んで建つが、下宮(里宮)の本殿・拝殿は両社の共有。
伝承によれば、養老3年(719年)、この地を訪れた泰澄が、国常立尊・伊弉諾尊を主祭神とし、十一面観世音菩薩を本地とする神仏習合の社を創建し、大瀧兒権現を建立したという。
権現山が御神体山。後に明治時代の神仏分離令により、現在の大瀧神社となった。近代社格では県社。
岡太神社は、大瀧神社の創建に先立つ、第26代継体天皇が即位前、まだ当地付近に滞在している頃、大滝町の岡本川上流に美しい姫が現れ、村人に紙漉きの技術を伝えたのが始まりとされている。
この伝説の姫が川上御前で、和紙の神様・紙祖神(しそじん)として祀られた。
いわゆる越前和紙の起源で、鷲の起源として、こうした伝承が遺るのは全国でも他に例がないという。現在も周辺は「和紙の里」と呼ばれている。
岡太神社は『延喜式神名帳』にある「岡本神社(越前国・今立郡)」に比定される式内社(小社)の論社。他の論社に、市内粟田部町の同名神社、鯖江市水落町の神明社がある。
延元2年(1337年)の足利軍の兵火で社殿が失われ、岡太神社の御祭神を大瀧神社の相殿に祀った。
さらに天正3年(1575年)、織田信長の一向一揆攻略の際、大瀧寺一山が兵火に遭い消失。再建時に大瀧神社の摂社として境内に祀られるようになった。
大正12年(1923年)、大蔵省印刷局抄紙部に川上御前の分霊が奉祀され、岡太神社は名実ともに全国紙業界の総鎮守となった。
神社の格としては大瀧神社の方が上であるが、住民たちが崇拝してきたのは川上御前であったため「大瀧神社・岡太神社」あるいは「岡太神社・大瀧神社」と並記していると考えられている。
天保14年(1843年)に建立された下宮本拝殿が「大滝神社本殿及び拝殿」として国の重要文化財に指定されている。拝殿(入母屋造妻入)と本殿(大型の一間社流造)が一体となった複合社殿。
ゼンマイのとれる頃に花が満開となる、エドヒガンの大木「ゼンマイザクラ」、通称「おお杉さん」、御神木である「大スギ」、権現山(標高326メートル)山頂付近のブナの原生自然林である「奥の院社叢」が県の天然記念物に指定されている。
奥の院本殿、奥の院岡太神社本殿、木造十一面観音坐像、木造獅子頭、木造狛犬(一対)が市の文化財に指定されている。
例祭は春期が5月3-5日、秋期が10月11-13日。式年大祭として33年ごとに本開帳があり、御神忌として50年ごとに中開帳がある。
なお、市内には上述の粟田部町の他、岡本町にも岡太神社がある。ただし、市内の岡太神社と言えば、通常当社を指す。
【ご利益】
全国紙業界の総鎮守、安寧平安、家内安全
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[電話]0778-22-3007 - 越前市観光振興課
大瀧神社・岡太神社(おおたきじんじゃ・おかもとじんじゃ)は、福井県越前市大滝町にある神社。岡太神社・大瀧神社とも呼ばれ、大滝神社と表記されることもある。御朱印の有無は不明。
上宮(奥の院)には大瀧・岡太両神社の本殿が並んで建つが、下宮(里宮)の本殿・拝殿は両社の共有。
伝承によれば、養老3年(719年)、この地を訪れた泰澄が、国常立尊・伊弉諾尊を主祭神とし、十一面観世音菩薩を本地とする神仏習合の社を創建し、大瀧兒権現を建立したという。
権現山が御神体山。後に明治時代の神仏分離令により、現在の大瀧神社となった。近代社格では県社。
岡太神社は、大瀧神社の創建に先立つ、第26代継体天皇が即位前、まだ当地付近に滞在している頃、大滝町の岡本川上流に美しい姫が現れ、村人に紙漉きの技術を伝えたのが始まりとされている。
この伝説の姫が川上御前で、和紙の神様・紙祖神(しそじん)として祀られた。
いわゆる越前和紙の起源で、鷲の起源として、こうした伝承が遺るのは全国でも他に例がないという。現在も周辺は「和紙の里」と呼ばれている。
岡太神社は『延喜式神名帳』にある「岡本神社(越前国・今立郡)」に比定される式内社(小社)の論社。他の論社に、市内粟田部町の同名神社、鯖江市水落町の神明社がある。
延元2年(1337年)の足利軍の兵火で社殿が失われ、岡太神社の御祭神を大瀧神社の相殿に祀った。
さらに天正3年(1575年)、織田信長の一向一揆攻略の際、大瀧寺一山が兵火に遭い消失。再建時に大瀧神社の摂社として境内に祀られるようになった。
大正12年(1923年)、大蔵省印刷局抄紙部に川上御前の分霊が奉祀され、岡太神社は名実ともに全国紙業界の総鎮守となった。
神社の格としては大瀧神社の方が上であるが、住民たちが崇拝してきたのは川上御前であったため「大瀧神社・岡太神社」あるいは「岡太神社・大瀧神社」と並記していると考えられている。
天保14年(1843年)に建立された下宮本拝殿が「大滝神社本殿及び拝殿」として国の重要文化財に指定されている。拝殿(入母屋造妻入)と本殿(大型の一間社流造)が一体となった複合社殿。
ゼンマイのとれる頃に花が満開となる、エドヒガンの大木「ゼンマイザクラ」、通称「おお杉さん」、御神木である「大スギ」、権現山(標高326メートル)山頂付近のブナの原生自然林である「奥の院社叢」が県の天然記念物に指定されている。
奥の院本殿、奥の院岡太神社本殿、木造十一面観音坐像、木造獅子頭、木造狛犬(一対)が市の文化財に指定されている。
例祭は春期が5月3-5日、秋期が10月11-13日。式年大祭として33年ごとに本開帳があり、御神忌として50年ごとに中開帳がある。
なお、市内には上述の粟田部町の他、岡本町にも岡太神社がある。ただし、市内の岡太神社と言えば、通常当社を指す。
【ご利益】
全国紙業界の総鎮守、安寧平安、家内安全
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