三方原の戦いで徳川家康が逃れ、助かったお犬さま信仰の式内社
[住所]静岡県浜松市天竜区水窪町山住230
[電話]053-987-1179
山住神社(やまずみじんじゃ)は、静岡県浜松市天竜区水窪町、標高1107メートルの山住峠にある神社。参拝すれば、御朱印を頂ける。
『延喜式神名帳』にある「芽原川内神社(遠江国・周智郡)」に比定される式内社(小社)の論社。近代社格では県社。
御祭神は、大山祇命・事解男命・伊弉册命・速玉男命。後述の由緒からお犬さま信仰で知られる。例祭は4月17日が春の大祭、11月17日が秋の大祭。
和銅2年(709年)、「日本総鎮守」伊予国越智郡大山祇神社を勧請して創祀。当時、山住大権現と号した。養老元年(717年)、 第44代元正天皇による勅願。三島神社の系列の一つ。
貞観2年(860年)1月27日、遠江国正五位下・芽原河内神に従四位下を授けられ、勅使が2回参向したとも伝わる。芽原河内神・芽原河内神社が当社のことであるという。
室町時代の永正10年(1514年)6月7日、奥山郷葛郷(久頭合)高根城主奥山大膳亮が武運長久を祈願して社殿を造営した。
戦国時代の元亀3年(1572年)、徳川家康が三方原の戦いにおいて敗走し、当社へ逃れた。
迫る敵に対して、天候がにわかに変化し、神域全体にウォーウォーという地響きのような唸り声が起こった。
敵軍はこれに対して恐れを抱いて退散、以降、家康は当社を崇敬することになる。
家康は翌天正元年(1573年)正月には早速お礼参りの参拝があり、天正4年(1576年)に宝剣2振、慶長19年(1614年)に宝剣1振を奉納。現在も社宝として現存する。
当社には山犬(狼)信仰があり、当社の神札には、山犬様が描かれている。奥三河一帯では、今でも農作物を荒らす猪や鹿を退治する益獣として祀られている。
江戸時代となり、寛永13年(1636年)に社殿造営があり、慶安2年(1649年)8月17日、幕府より累世御朱印を賜う。
江戸時代中期の享保18年(1733年)3月16日、落雷により社殿を焼失。延享元年(1744年)、本社・幣殿・拝殿・勅使殿・神供所・神宝蔵を造営。
明治5年(1872年)、浜松県より県社に指定され、同時に現社号に改称した。明治14年(1881年)、二品・大勲位小松宮彰仁親王の真筆による神名の扁額が贈られる。
明治40年(1907年)6月21日、神饌幣帛料供進社に指定される。境内の大杉2本は樹齢1300年とも言われ、県の天然記念物に指定されている。
なお、式内社「芽原川内神社」の論社は他に、周智郡森町の八幡神社がある。
【ご利益】
五穀豊穣、厄災除け、艱難排除
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[電話]053-987-1179
山住神社(やまずみじんじゃ)は、静岡県浜松市天竜区水窪町、標高1107メートルの山住峠にある神社。参拝すれば、御朱印を頂ける。
『延喜式神名帳』にある「芽原川内神社(遠江国・周智郡)」に比定される式内社(小社)の論社。近代社格では県社。
御祭神は、大山祇命・事解男命・伊弉册命・速玉男命。後述の由緒からお犬さま信仰で知られる。例祭は4月17日が春の大祭、11月17日が秋の大祭。
和銅2年(709年)、「日本総鎮守」伊予国越智郡大山祇神社を勧請して創祀。当時、山住大権現と号した。養老元年(717年)、 第44代元正天皇による勅願。三島神社の系列の一つ。
貞観2年(860年)1月27日、遠江国正五位下・芽原河内神に従四位下を授けられ、勅使が2回参向したとも伝わる。芽原河内神・芽原河内神社が当社のことであるという。
室町時代の永正10年(1514年)6月7日、奥山郷葛郷(久頭合)高根城主奥山大膳亮が武運長久を祈願して社殿を造営した。
戦国時代の元亀3年(1572年)、徳川家康が三方原の戦いにおいて敗走し、当社へ逃れた。
迫る敵に対して、天候がにわかに変化し、神域全体にウォーウォーという地響きのような唸り声が起こった。
敵軍はこれに対して恐れを抱いて退散、以降、家康は当社を崇敬することになる。
家康は翌天正元年(1573年)正月には早速お礼参りの参拝があり、天正4年(1576年)に宝剣2振、慶長19年(1614年)に宝剣1振を奉納。現在も社宝として現存する。
当社には山犬(狼)信仰があり、当社の神札には、山犬様が描かれている。奥三河一帯では、今でも農作物を荒らす猪や鹿を退治する益獣として祀られている。
江戸時代となり、寛永13年(1636年)に社殿造営があり、慶安2年(1649年)8月17日、幕府より累世御朱印を賜う。
江戸時代中期の享保18年(1733年)3月16日、落雷により社殿を焼失。延享元年(1744年)、本社・幣殿・拝殿・勅使殿・神供所・神宝蔵を造営。
明治5年(1872年)、浜松県より県社に指定され、同時に現社号に改称した。明治14年(1881年)、二品・大勲位小松宮彰仁親王の真筆による神名の扁額が贈られる。
明治40年(1907年)6月21日、神饌幣帛料供進社に指定される。境内の大杉2本は樹齢1300年とも言われ、県の天然記念物に指定されている。
なお、式内社「芽原川内神社」の論社は他に、周智郡森町の八幡神社がある。
【ご利益】
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