徳島城の鬼門守護、市中五社の一つで渭津五社の随一、ツツジと桜
[住所]徳島県徳島市南佐古三番町21
[電話]088-654-6732
諏訪神社(すわじんじゃ)は、徳島県徳島市南佐古、諏訪山にある神社。眉山北麓の諏訪山に位置し、「佐古のお諏訪さん」として親しまれている。徳島市中五社、渭津五社の一つ。近代社格では郷社。御祭神は建御名方神。御朱印の有無は不明。
天正13年(1585年)に徳島藩主蜂須賀家政が豊臣秀吉の命により渭津城(徳島城)を築城した際に、城の鬼門守護の神として創祀された。
城山の北東麓にあった諏訪明神社を現在地に移したとも、もと徳島市の西方、猪山(城山の別称)に鎮座していたとも、また一説には現名西郡石井町裏庄の諏訪社(現 多祁御奈刀弥神社)から分祀されたともいわれている。
渭津五社は、もと渭津(渭山、猪山、城山とも)にあった五社を指し、当社と、伊勢祠、住吉社、龍王宮、弁天社の四社。
中でも当社は渭津五社の随一と称され、藩政時代を通じて蜂須賀家の崇敬篤く、社殿の修理造営などは全て藩費でまかなった。
また、慶安年間(1648年-1652年)には社領を寄進し、秋の祭礼における馬匹の奉献を恒例とするようになった。明治3年(1870年)5月に郷社に列した。例祭は11月5日。
神紋の鎌は、御祭神が信濃国諏訪を領有するにあたって、山国はイバラを切り開くようだといって、鎌を用いた故事によるものだという。
摂社として、若宮神社・事勝神社・事代主神社があり、また末社も数社ある。
石段下に迷子石がある。佐古の祭りは大変な賑わいで、時折親とはぐれて迷子になる。見物人が迷子を連れてこの石の掛札場へ行き、人から人へ伝えて親を探したという。
眉山山麓に位置する境内はツツジの名所として知られており、2000平方メートルの敷地に樹齢10年から15年のツツジが約100本植わっている。
ツツジの他にも桜の名所としても知られており、神社へと続く石段を囲んで大きく枝を広げた桜が咲いている。夜には境内にも雪洞が灯され、散策ができる。
神社周辺には春日神社、三島神社、椎宮八幡神社、清水寺がある。
【ご利益】
武運長久、身体壮健、家内安全、諸願成就

【関連記事】
・徳島市中五社 - 蜂須賀氏の阿波入部や徳島城築城以来の、徳島藩歴代藩主の格別な崇敬社
・徳島県の神社 - 本サイトに掲載されている神社で、徳島県に鎮座している神社の一覧
[電話]088-654-6732
諏訪神社(すわじんじゃ)は、徳島県徳島市南佐古、諏訪山にある神社。眉山北麓の諏訪山に位置し、「佐古のお諏訪さん」として親しまれている。徳島市中五社、渭津五社の一つ。近代社格では郷社。御祭神は建御名方神。御朱印の有無は不明。
天正13年(1585年)に徳島藩主蜂須賀家政が豊臣秀吉の命により渭津城(徳島城)を築城した際に、城の鬼門守護の神として創祀された。
城山の北東麓にあった諏訪明神社を現在地に移したとも、もと徳島市の西方、猪山(城山の別称)に鎮座していたとも、また一説には現名西郡石井町裏庄の諏訪社(現 多祁御奈刀弥神社)から分祀されたともいわれている。
渭津五社は、もと渭津(渭山、猪山、城山とも)にあった五社を指し、当社と、伊勢祠、住吉社、龍王宮、弁天社の四社。
中でも当社は渭津五社の随一と称され、藩政時代を通じて蜂須賀家の崇敬篤く、社殿の修理造営などは全て藩費でまかなった。
また、慶安年間(1648年-1652年)には社領を寄進し、秋の祭礼における馬匹の奉献を恒例とするようになった。明治3年(1870年)5月に郷社に列した。例祭は11月5日。
神紋の鎌は、御祭神が信濃国諏訪を領有するにあたって、山国はイバラを切り開くようだといって、鎌を用いた故事によるものだという。
摂社として、若宮神社・事勝神社・事代主神社があり、また末社も数社ある。
石段下に迷子石がある。佐古の祭りは大変な賑わいで、時折親とはぐれて迷子になる。見物人が迷子を連れてこの石の掛札場へ行き、人から人へ伝えて親を探したという。
眉山山麓に位置する境内はツツジの名所として知られており、2000平方メートルの敷地に樹齢10年から15年のツツジが約100本植わっている。
ツツジの他にも桜の名所としても知られており、神社へと続く石段を囲んで大きく枝を広げた桜が咲いている。夜には境内にも雪洞が灯され、散策ができる。
神社周辺には春日神社、三島神社、椎宮八幡神社、清水寺がある。
【ご利益】
武運長久、身体壮健、家内安全、諸願成就

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