渋沢栄一の寄付や揮毫による社名額、西ケ原一里塚や貝塚遺跡
[住所]東京都北区西ヶ原2-11-1
[電話]03-3910-1641
七社神社(ななしゃじんじゃ)は、東京都北区西ヶ原にある神社。参拝すれば、御朱印を頂ける。
御祭神は、伊邪那岐命・伊邪那美命・天児屋根命・伊斯許理度売命・市寸島比売命・品陀別命(応神天皇)・帝中日子命(仲哀天皇)の7柱。社号の由来か。
寛政5年(1793年)、火災により、古文書、古記録などすべての資料とともに焼失したため、創建や由緒などは不詳。寛政6年(1794年)9月23日に再建される。
現在の古河庭園の地に仏宝山無量寺の境内にて創建されたようで、『江戸名所図会』にも記載がある。古くから西ヶ原村の鎮守で、「丹生七柱大神」と呼ばれていた。
『新編武蔵風土記稿』には、「紀伊国高野山四社明神ヲ祀リ天照大神・春日・八幡三座ヲ合祀ス」とある。天照大神は現在の御祭神に含まれていない。
明治元年(1868年)に神仏分離令により独立、明治2年(1869年)、一本杉神明宮(御祭神:天照大神)があった現在地に遷座した。一本杉神明宮は境内末社となっている。
明治26年(1893年)、本殿を改築し、大正9年(1920年)には渋沢栄一、古河市兵衛などの寄付もあって社務所を改築。昭和3年(1928年)に拝殿を改築。昭和9年(1934年)には石造大鳥居を建立した。
なお、拝殿社名額も渋沢栄一による揮毫で、文化財に指定されている。境内から隣地にかけての一部は貝塚遺跡で、縄文土器、弥生土器、土師器などが発見されている。
大鳥居前に日光御成道(岩槻街道)の西ケ原一里塚(日本橋より2里目)があり、旅人の守護神としての信仰がある。
例祭は9月23日。大神輿の渡御がある。境内社には神明宮の他、稲荷神社・熊野神社・菅原神社・三峯神社・疱瘡神がある。
【ご利益】
子宝・安産・家族円満
【関連記事】
・『江戸名所図会』に掲載されている神社 - 文字通り「特筆」に値する江戸期からの名社
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七社神社(ななしゃじんじゃ)は、東京都北区西ヶ原にある神社。参拝すれば、御朱印を頂ける。
御祭神は、伊邪那岐命・伊邪那美命・天児屋根命・伊斯許理度売命・市寸島比売命・品陀別命(応神天皇)・帝中日子命(仲哀天皇)の7柱。社号の由来か。
寛政5年(1793年)、火災により、古文書、古記録などすべての資料とともに焼失したため、創建や由緒などは不詳。寛政6年(1794年)9月23日に再建される。
現在の古河庭園の地に仏宝山無量寺の境内にて創建されたようで、『江戸名所図会』にも記載がある。古くから西ヶ原村の鎮守で、「丹生七柱大神」と呼ばれていた。
『新編武蔵風土記稿』には、「紀伊国高野山四社明神ヲ祀リ天照大神・春日・八幡三座ヲ合祀ス」とある。天照大神は現在の御祭神に含まれていない。
明治元年(1868年)に神仏分離令により独立、明治2年(1869年)、一本杉神明宮(御祭神:天照大神)があった現在地に遷座した。一本杉神明宮は境内末社となっている。
明治26年(1893年)、本殿を改築し、大正9年(1920年)には渋沢栄一、古河市兵衛などの寄付もあって社務所を改築。昭和3年(1928年)に拝殿を改築。昭和9年(1934年)には石造大鳥居を建立した。
なお、拝殿社名額も渋沢栄一による揮毫で、文化財に指定されている。境内から隣地にかけての一部は貝塚遺跡で、縄文土器、弥生土器、土師器などが発見されている。
大鳥居前に日光御成道(岩槻街道)の西ケ原一里塚(日本橋より2里目)があり、旅人の守護神としての信仰がある。
例祭は9月23日。大神輿の渡御がある。境内社には神明宮の他、稲荷神社・熊野神社・菅原神社・三峯神社・疱瘡神がある。
【ご利益】
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