江戸の富士講でも最古の組織があった、「一富士、二鷹、三茄子」発祥地
[住所]東京都文京区本駒込5-7-20
[電話]03-3823-7894
駒込富士神社(こまごめふじじんじゃ)は、東京都文京区本駒込にある神社。参拝すれば、御朱印を頂ける。
『江戸名所図会』に記載される神社。「駒込のお富士山」「お富士さん」などとも。御祭神は木花咲耶姫命。
天正元年(1573年)、本郷村の名主の夢枕に木花咲耶姫が立ち、現在の東京大学の地に浅間神社の神を勧請した。
寛永5年(1628年)、加賀前田氏が上屋敷をその地に賜るにあたり、その浅間社を一旦屋敷の外の本郷本富士町に移し、その後現在地に合祀した。別当は本郷真光寺。
江戸時代後期には「江戸八百八講、講中八万人」といわれるほど流行した富士講の中でも、ここは最も古い組織の一つがあり、町火消の間で深く信仰された。
現在でも火消頭の組長などから奉納された町火消の纏(まとい・シンボルマーク)を彫った石碑が数多く飾られている。
江戸期の富士信仰の拠点の一つとなり、氏子を持たず富士講組織で成り立っていた。区内では他に、護国寺の「音羽の富士」、白山神社の「白山の富士」があった。
初夢で有名な「一富士、二鷹、三茄子」は、周辺に鷹匠屋敷があった所、駒込茄子が名産物であったことに由来する。「駒込は一富士二鷹三茄子」と当時の縁起物として川柳に詠まれた。
現在は6月30日から7月2日に行われる縁日の山開きでは土産の駒込ナスが名物だったが、現在では周辺の宅地化により茄子の生産は全くなく、土産の茄子も売られていない。鷹匠屋敷跡は現在、駒込病院が建っている。
山開きでは、多くの露店が出て、夜遅くまで多くの参拝客で賑わう。当日にはオリジナルの御朱印がある。
拝殿は富士山に見立てた富士塚の上にある。社伝によれば、南北朝時代の延文年間(1356年-1361年)にはすでに現在地は富士塚と呼ばれ、大きな塚があった。この塚は一説によると、前方後円の古墳といわれる。
区の文化財に指定された掛軸5幅、祭具類1式などの資料の多くは文京ふるさと歴史館にある。
境内社に、曽我霊社・小御嶽神社・下浅間神社・猿田彦祠がある。近隣には駒込天祖神社がある。
【ご利益】
身体壮健、安産、火防、家内安全など
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駒込富士神社(こまごめふじじんじゃ)は、東京都文京区本駒込にある神社。参拝すれば、御朱印を頂ける。
『江戸名所図会』に記載される神社。「駒込のお富士山」「お富士さん」などとも。御祭神は木花咲耶姫命。
天正元年(1573年)、本郷村の名主の夢枕に木花咲耶姫が立ち、現在の東京大学の地に浅間神社の神を勧請した。
寛永5年(1628年)、加賀前田氏が上屋敷をその地に賜るにあたり、その浅間社を一旦屋敷の外の本郷本富士町に移し、その後現在地に合祀した。別当は本郷真光寺。
江戸時代後期には「江戸八百八講、講中八万人」といわれるほど流行した富士講の中でも、ここは最も古い組織の一つがあり、町火消の間で深く信仰された。
現在でも火消頭の組長などから奉納された町火消の纏(まとい・シンボルマーク)を彫った石碑が数多く飾られている。
江戸期の富士信仰の拠点の一つとなり、氏子を持たず富士講組織で成り立っていた。区内では他に、護国寺の「音羽の富士」、白山神社の「白山の富士」があった。
初夢で有名な「一富士、二鷹、三茄子」は、周辺に鷹匠屋敷があった所、駒込茄子が名産物であったことに由来する。「駒込は一富士二鷹三茄子」と当時の縁起物として川柳に詠まれた。
現在は6月30日から7月2日に行われる縁日の山開きでは土産の駒込ナスが名物だったが、現在では周辺の宅地化により茄子の生産は全くなく、土産の茄子も売られていない。鷹匠屋敷跡は現在、駒込病院が建っている。
山開きでは、多くの露店が出て、夜遅くまで多くの参拝客で賑わう。当日にはオリジナルの御朱印がある。
拝殿は富士山に見立てた富士塚の上にある。社伝によれば、南北朝時代の延文年間(1356年-1361年)にはすでに現在地は富士塚と呼ばれ、大きな塚があった。この塚は一説によると、前方後円の古墳といわれる。
区の文化財に指定された掛軸5幅、祭具類1式などの資料の多くは文京ふるさと歴史館にある。
境内社に、曽我霊社・小御嶽神社・下浅間神社・猿田彦祠がある。近隣には駒込天祖神社がある。
【ご利益】
身体壮健、安産、火防、家内安全など
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