全長368.5センチの大太刀「陰陽丸」、『江戸名所図会』記載社
[住所]東京都台東区今戸2-13
[電話]03-3871-4575
熱田神社(あつたじんじゃ)は、東京都台東区今戸にある神社。近代社格では村社。御祭神は日本武尊、橘姫命。例祭は11月15日。御朱印の有無は不明。
創建は元亀2年(1571年)6月と伝えられているが、『御府内寺社帳』によれば、「元鳥越と同年なり」と書かれている。特に詳細は記されていないが、社号から尾張熱田神宮からの勧請か。
その昔、元鳥越には、熱田大明神・鳥越大明神(鳥越神社)・第六天(第六天榊神社)の三社が鎮祭されていた。
正保年間(1644年-1647年)に、元鳥越一帯の地は幕府御用地に指定されて遷座。元鳥越の氏子数十戸とともに移り、町名も新鳥越と改められた。正保2年(1645年)6月、社殿が新築された。
『江戸名所図会』にも記載されており、社殿は宝永5年(1708年)・文政7年(1824年)・文久元年(1861年)、明治年間(1868年-1912年)に修理・改築を重ねたが、大正12年(1923年)の関東大震災で焼失した。
大正13年(1924年)6月、仮社殿を再建したが、区画整理のため、昭和2年(1927年)11月に現社地に遷座した。町名も明治の末には吉野町となり、その後、今戸と変わった。
先年の火災を考慮して、本殿を鉄筋コンクリート造にしたため、昭和20年3月10日の東京大空襲でも本殿だけは炎上をまぬがれた。
弘化4年(1847年)に奉納された全長368.5センチの大太刀「陰陽丸」を所蔵する。安政5年(1858年)、コレラが流行した時は、疫病退散のために、この大太刀が町内を巡行している。
読みは「いんようまる」だが、古老は「おんようまる」と発音していたという。
境内社に、弁財天社・八幡社・青木稲荷社・庚申金毘羅合殿・天満宮疱瘡神福寿稲荷合殿・霊神社がある。合殿の稲荷社は、豊川出世福徳稲荷神社、あるいは出世稲荷神社と呼ばれる。
【ご利益】
病魔退散、交通安全、夫婦和合、諸願成就

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熱田神社(あつたじんじゃ)は、東京都台東区今戸にある神社。近代社格では村社。御祭神は日本武尊、橘姫命。例祭は11月15日。御朱印の有無は不明。
創建は元亀2年(1571年)6月と伝えられているが、『御府内寺社帳』によれば、「元鳥越と同年なり」と書かれている。特に詳細は記されていないが、社号から尾張熱田神宮からの勧請か。
その昔、元鳥越には、熱田大明神・鳥越大明神(鳥越神社)・第六天(第六天榊神社)の三社が鎮祭されていた。
正保年間(1644年-1647年)に、元鳥越一帯の地は幕府御用地に指定されて遷座。元鳥越の氏子数十戸とともに移り、町名も新鳥越と改められた。正保2年(1645年)6月、社殿が新築された。
『江戸名所図会』にも記載されており、社殿は宝永5年(1708年)・文政7年(1824年)・文久元年(1861年)、明治年間(1868年-1912年)に修理・改築を重ねたが、大正12年(1923年)の関東大震災で焼失した。
大正13年(1924年)6月、仮社殿を再建したが、区画整理のため、昭和2年(1927年)11月に現社地に遷座した。町名も明治の末には吉野町となり、その後、今戸と変わった。
先年の火災を考慮して、本殿を鉄筋コンクリート造にしたため、昭和20年3月10日の東京大空襲でも本殿だけは炎上をまぬがれた。
弘化4年(1847年)に奉納された全長368.5センチの大太刀「陰陽丸」を所蔵する。安政5年(1858年)、コレラが流行した時は、疫病退散のために、この大太刀が町内を巡行している。
読みは「いんようまる」だが、古老は「おんようまる」と発音していたという。
境内社に、弁財天社・八幡社・青木稲荷社・庚申金毘羅合殿・天満宮疱瘡神福寿稲荷合殿・霊神社がある。合殿の稲荷社は、豊川出世福徳稲荷神社、あるいは出世稲荷神社と呼ばれる。
【ご利益】
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