秋季大祭「曳山祭」では曳山神事と、全国的に珍しい築山神事が伝わる
[住所]富山県射水市八幡町2-2-27
[電話]0766-84-3449
放生津八幡宮(ほうしょうづはちまんぐう)は、富山県射水市八幡町にある神社。近代社格では県社。主祭神は応神天皇で、相殿に仁徳天皇を祀る。参拝すれば、御朱印を頂ける。
聖武天皇の御代、天平18年(746年)、越中国守大伴家持が古国府(現 高岡市伏木古国府)に在任中、常に奈呉の浦の景勝を愛し、豊前国宇佐八幡神を勧請して奈呉八幡宮と称したのが創始といわれる。
越中国国分寺の守護神、国分八幡宮とも。越中国には一国一社の八幡宮、いわゆる国府八幡宮として、現在の小矢部市埴生に護国八幡宮が、富山市八幡に一国一社八幡宮がある。
秋季大祭には放生会が営まれ、当地放生津の地名は、嘉暦3年(1328年)、当宮とその祭典にちなんで名づけられたという。
正和年間(1312年-1317年)、守護名越時有が社殿を造営、神領八幡田を寄進。永禄年間(1558年-1570年)に上杉謙信の軍勢による兵火に罹る。のち、放生津城主神保長職が社殿を再建した。
天正年間(1573年-1593年)、藩主前田利長は度々社参し、「八幡宮」の神額を染筆奉納する。弘化2年(1845年)2月、放生津の大火にかかり社殿、宝物などことごとく焼失した。
現在の社殿は文久3年(1863年)7月に竣工したもので、名棟梁高瀬輔太郎、脇棟梁野上武平、同赤井弥左エ門の作。
豪壮な流破風造りの神輿庫(霊松殿)は、宝暦元年(1751年)の造営で、神輿は寛延3年(1750年)、「能州所口の住人、後藤六代中川浅右衛門良直、同岩五郎」の作である。
神域東北側に、天平20年(748年)正月、大伴家持が奈呉の浦の風望を歌った『万葉集』巻十七(4017)にある、佐々木信綱の筆となる下記の歌碑がある。
築山神事は、能登にある石動山の伊須流岐比古神社、高岡市の二上射水神社で行われていたが、伊須流岐比古神社は廃絶、射水神社では昭和31年(1956年)に復興。全国的にも珍しい行事である。
築山古老伝説があるこの行事は、当宮創祀に関わる伝承である多治比真人廣成にちなむともされ、築山の四天王もここから出てきているという。放生津の「足なし」、二上山の「手なし」、石動山の「口なし」の由来である。
【ご利益】
厄災除け、水難除け、安産(公式HP)

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[電話]0766-84-3449
放生津八幡宮(ほうしょうづはちまんぐう)は、富山県射水市八幡町にある神社。近代社格では県社。主祭神は応神天皇で、相殿に仁徳天皇を祀る。参拝すれば、御朱印を頂ける。
聖武天皇の御代、天平18年(746年)、越中国守大伴家持が古国府(現 高岡市伏木古国府)に在任中、常に奈呉の浦の景勝を愛し、豊前国宇佐八幡神を勧請して奈呉八幡宮と称したのが創始といわれる。
越中国国分寺の守護神、国分八幡宮とも。越中国には一国一社の八幡宮、いわゆる国府八幡宮として、現在の小矢部市埴生に護国八幡宮が、富山市八幡に一国一社八幡宮がある。
秋季大祭には放生会が営まれ、当地放生津の地名は、嘉暦3年(1328年)、当宮とその祭典にちなんで名づけられたという。
正和年間(1312年-1317年)、守護名越時有が社殿を造営、神領八幡田を寄進。永禄年間(1558年-1570年)に上杉謙信の軍勢による兵火に罹る。のち、放生津城主神保長職が社殿を再建した。
天正年間(1573年-1593年)、藩主前田利長は度々社参し、「八幡宮」の神額を染筆奉納する。弘化2年(1845年)2月、放生津の大火にかかり社殿、宝物などことごとく焼失した。
現在の社殿は文久3年(1863年)7月に竣工したもので、名棟梁高瀬輔太郎、脇棟梁野上武平、同赤井弥左エ門の作。
豪壮な流破風造りの神輿庫(霊松殿)は、宝暦元年(1751年)の造営で、神輿は寛延3年(1750年)、「能州所口の住人、後藤六代中川浅右衛門良直、同岩五郎」の作である。
拝殿に安置されている木彫の狛犬は、ケヤキの寄せ木造りで、寄進は弘化3年(1846)年、地元漁師達によるもの。作者は地元法土寺出身で宮内庁御用達を務めた彫刻家の矢野啓通。
神域東北側に、天平20年(748年)正月、大伴家持が奈呉の浦の風望を歌った『万葉集』巻十七(4017)にある、佐々木信綱の筆となる下記の歌碑がある。
あゆの風いたく吹くらし奈呉の海人の釣する小舟こぎ隠る見ゆまた、松尾芭蕉が「奥の細道」の行脚に放生津を通った時に読んだ下記の歌碑が芭蕉150年遠忌にあたる天保14年(1843年)9月、郷土の俳人子遇が建立した。
早稲の香や分け入る右は有磯海特殊神事として、9月30日の魂迎え式に始まり、10月1日から3日にかけて行われる例大祭(放生津曳山祭)がある。県無形民俗文化財である曳山神事、築山神事がある。
わせのかや わけいるみぎは ありそうみ
築山神事は、能登にある石動山の伊須流岐比古神社、高岡市の二上射水神社で行われていたが、伊須流岐比古神社は廃絶、射水神社では昭和31年(1956年)に復興。全国的にも珍しい行事である。
築山古老伝説があるこの行事は、当宮創祀に関わる伝承である多治比真人廣成にちなむともされ、築山の四天王もここから出てきているという。放生津の「足なし」、二上山の「手なし」、石動山の「口なし」の由来である。
【ご利益】
厄災除け、水難除け、安産(公式HP)

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