鈴木氏の総本家、鈴木姓の発祥の地「鈴木屋敷」、藤代王子の旧址、獅子舞
[住所]和歌山県海南市藤白466
[電話]073-482-1123

藤白神社(ふじしろじんじゃ)は、和歌山県海南市藤白にある神社。近代社格では県社。主祭神は饒速日命熊野坐神熊野速玉神熊野夫須美神天照大神を配祀する。参拝すれば、御朱印を頂ける。

九十九王子の中でも別格とされた五体王子の一つ藤代王子の旧址で、藤代神社・藤白権現・藤白若一王子権現などとも。

代々神職を務める藤白鈴木氏は、当社主祭神を祖神とする穂積氏の嫡流で、熊野三党の一族。全国の鈴木氏の総本家で、鈴木姓の発祥の地とされる鈴木屋敷がある。

第12代景行天皇の代の創建とされる。また、社殿は斉明天皇(在位:655年-661年)の牟婁の湯行幸の際に建立されたと伝わる。

中世熊野御幸の盛期には、九十九王子の中でも特に格式の高い五体王子の一つとして崇敬され、熊野詣の途上における要所であった。

境内東通用口から西へ抜けてゆく道はかつての熊野参詣道で、北側にある正面参道は近世の熊野街道の道筋につながっている。

藤原経房『吉記』承安4年(1174年)9月25日の条に「藤代王子において里神楽を行い、白米を給ふ」とある。子の里神楽が「藤白の獅子舞」の前身であり、獅子舞の平安時代起源説につながる。

後鳥羽院の建仁元年(1201年)の熊野詣の際には藤白の次の宿泊地であった湯浅で歌会が催され、その歌会で詠まれた歌が藤白王子に献納されている。このときの後鳥羽院らの詠歌が熊野懐紙として3通が残されており、陽明文庫などに所蔵されている。

応永7年(1400年)付の禅林寺文書に「藤白王子免」として3町3反の記載があり、大野郷で最大の神田を有していた。しかし、戦国時代の兵乱で社殿や神領を失った。江戸時代になり、慶長6年(1601年)に浅野幸長から藤白村に6石の寄進があった。さらに、同年および寛文6年(1666年)に社殿の造営が行われた。

江戸時代後期に紀州藩が編纂した地誌『紀伊続風土記』は藤白若一王子権現社として記載され、境内東西二八間・南北三〇間、本社三扉、庁、御供所、鐘楼、石鳥居、末社三社などがあり、和歌山雲蓋院末の寺院が別当を務めた。

明治以降には村社に列格され、明治42年(1909年)には祓戸王子を合祀、次いで昭和初期に郷社、昭和14年(1939年)には県社に列された。

境内にある藤白王子権現本堂は、藤代王子を顕彰するもので、御祭神の本地仏3体が祀られている。いずれも平安末期の作で、明治の神仏分離の際の破棄を免れ今日に伝わっている。

境内には楠の巨木がある。近代日本の巨人の一人南方熊楠は、藤白王寺の境内にあるこの社から「熊」「楠」の字を授けてもらった。楠神社・楠木神社など。

例祭は10月15日。除夜の鐘を合図に初舞を披露する県指定無形民俗文化財である「藤白の獅子舞」が、街中でも舞われる。一頭の獅子舞と天狗面の猿田彦命が春ののどかさをうたいあげるもの。

【ご利益】
厄災除け、病気平癒、健康長寿、リフレッシュ(公式HP
藤白神社 - 鈴木氏の総本家、鈴木姓の発祥の地「鈴木屋敷」、藤代王子の旧址、獅子舞
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藤白神社の御朱印