藤原不比等の邸宅に創祀された、藤原氏春日詣での佐保殿「日待ちの神事」
[住所]奈良県奈良市法蓮町609-1
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狹岡神社(さおかじんじゃ)は、奈良県奈良市法蓮町にある神社。御朱印の有無は不明。

『延喜式神名帳』にある「狭岡神社(大和国・添上郡)」に比定される式内社(小社)の論社。近代社格では村社。

御祭神は、若山咋之神若年之神若沙那賣神彌豆麻岐之神夏高津日之神秋比賣之神久々年之神久々紀若室葛根之神

霊亀2年(715年)、藤原不比等(淡海公)が、国家鎮護、藤原氏繁栄のため、勅許により自邸宅佐保殿の丘上に天神八座を奉斎したのが創祀。もとは佐保丘天神、狭穂岡天神、狭加岡天神などとも。

間もなく、不比等は河内国枚岡神社から春日大明神を勧請し、大和国奈良の御蓋山で奉斎。現在の春日大社である。

以来、氏神春日詣りには、藤原氏一門(公家、女官たち)が、この佐保殿に集まり、必ず狭岡天神に参籠して「日待ちの神事」奉行精進潔斎をして、春日社詣を行ったと伝わる。

『文徳天皇実録』によれば、仁寿2年(852年)11月辛丑、狡岡神に從五位下とある。貞享4年(1687年)の史料では、「西かねなか町北がは西はづれ藪の内ニあり」とある。

佐保の里一円の氏神として、昔から、産業の天神、智恵の天神、災難よけの天神さんと崇拝された。「菅原天神の隠居」とも伝えられ、一般には菅原道真を祀ると考えられた。

「永享7年(1435年)に天満宮遷宮」とあり、現在は本殿東側の末社に併祠されているという。

当社は、『古事記』にも登場する沙本毘売命ゆかりの地。不比等の時代よりもさらにさかのぼる、第11代垂仁天皇の先の皇后で、兄である沙本毘古王とともに、反逆する(『古事記』該当部分)。

周辺には狭穂姫、佐保姫、佐保川、佐保山と、関連の地名が残るが、当社には「洗濯池」「姿見池」「鏡池」がある。

当地に沙本毘売命の母の所領があり、姫も幼小から成人するまで当地に住み、この地で垂仁天皇と出会ったと伝わる。

なお、式内社「狭岡神社」の論社は他に、奈良市漢国町の漢國神社がある。

【ご利益】
五穀豊穣・商売繁盛、諸願成就、学業成就
狹岡神社 - 藤原不比等の邸宅に創祀された、藤原氏春日詣での佐保殿「日待ちの神事」
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