境内に縄文遺跡がある飛騨式内八社の一つ、本殿は南北朝期の建立で重文指定
[住所]岐阜県高山市国府町宮地
[電話]0577-72-3111
荒城神社(あらきじんじゃ)は、岐阜県高山市国府町宮地にある神社。御朱印の有無は不明。
『延喜式』巻9・10神名帳 東山道神 飛騨国 荒城郡「荒城神社」に比定される式内社(小社)。近代社格では県社。
飛騨国内式内八社の一つ。御祭神は、高御牟須比命の13世の孫で、飛騨国造の祖とされる大荒木之命、国之水国分神、天之水分命、彌都波能売神。飛騨国総社である飛騨総社にも合祀されている。
創建は不詳。神社明細帳には「創立は遠く上代」とある。後述のように、縄文遺跡も発掘されており、相当古くから祭祀が行われてきていることは間違いない。
『日本三代実録』に「清和天皇貞観九年(867年)10月5日庚午、授飛騨国五位下荒城神従五位」と記される。
室町時代以降は河伯大明神と称されていたが、江戸時代の文化年間(1804年-1818年)、式内社「荒城神社」は阿多由太神社と一旦は比定されたが、当社が猛抗議した。
そこで再調査したところ、当社が式内社「荒城神社」に比定され、その後に現社号に改称した。なお、阿多由太神社は、式内社「阿多由太神社」に比定されたが、現在は論社。
本殿は南北朝時代末期の元中7年(1390年)の建立で、現在は国の重要文化財。毎年9月7日の秋の例祭で行われる鉦打・獅子舞が県重要無形文化財に指定されている。
県指定重要文化財としては、神像(2躯)、随身(2躯)、鰐口(1口)、面(4面)がある。県指定重要有形民俗文化財に獅子頭 9箇がある。
境内からは4基の縄文時代住居跡、および縄文土器(縄文中期-後期)、石器(打製石斧、石鏃、磨製石斧、石刀、石冠、石皿など)が発見されており、「荒城神社遺跡」として県史跡に指定されている。
境内末社に、秋葉神社・稲荷神社・津島神社・荒神社がある。
【ご利益】
五穀豊穣、家内安全、地域平穏
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[電話]0577-72-3111
荒城神社(あらきじんじゃ)は、岐阜県高山市国府町宮地にある神社。御朱印の有無は不明。
『延喜式』巻9・10神名帳 東山道神 飛騨国 荒城郡「荒城神社」に比定される式内社(小社)。近代社格では県社。
飛騨国内式内八社の一つ。御祭神は、高御牟須比命の13世の孫で、飛騨国造の祖とされる大荒木之命、国之水国分神、天之水分命、彌都波能売神。飛騨国総社である飛騨総社にも合祀されている。
創建は不詳。神社明細帳には「創立は遠く上代」とある。後述のように、縄文遺跡も発掘されており、相当古くから祭祀が行われてきていることは間違いない。
『日本三代実録』に「清和天皇貞観九年(867年)10月5日庚午、授飛騨国五位下荒城神従五位」と記される。
室町時代以降は河伯大明神と称されていたが、江戸時代の文化年間(1804年-1818年)、式内社「荒城神社」は阿多由太神社と一旦は比定されたが、当社が猛抗議した。
そこで再調査したところ、当社が式内社「荒城神社」に比定され、その後に現社号に改称した。なお、阿多由太神社は、式内社「阿多由太神社」に比定されたが、現在は論社。
本殿は南北朝時代末期の元中7年(1390年)の建立で、現在は国の重要文化財。毎年9月7日の秋の例祭で行われる鉦打・獅子舞が県重要無形文化財に指定されている。
県指定重要文化財としては、神像(2躯)、随身(2躯)、鰐口(1口)、面(4面)がある。県指定重要有形民俗文化財に獅子頭 9箇がある。
境内からは4基の縄文時代住居跡、および縄文土器(縄文中期-後期)、石器(打製石斧、石鏃、磨製石斧、石刀、石冠、石皿など)が発見されており、「荒城神社遺跡」として県史跡に指定されている。
境内末社に、秋葉神社・稲荷神社・津島神社・荒神社がある。
【ご利益】
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