「太平記の里」新田義貞の旗揚げ地、毎年5月に小学生が鎌倉に矢を放つ鏑矢祭
[住所]群馬県太田市新田市野井町640
[電話]0276-47-1833 - 太田市観光協会

生品神社(いくしなじんじゃ)は、群馬県太田市にある神社。近代社格では県社。参拝すれば、「太平記の里」などとある御朱印を頂ける。

平安時代の『上野国神名帳』に「新田郡従三位生階明神」として記載される。主祭神は大国主命。しかし、平将門を祀っているという伝説もある。

元弘3年(1333年)5月8日、新田義貞が後醍醐天皇より鎌倉幕府倒幕の綸旨を受けた際に、産土神である当社境内で旗揚げをし、鎌倉に攻め込んだと伝えられる。

『太平記』に、「五月八日ノ卯刻ニ、生品明神ノ御前ニテ旗ヲ挙」(巻第十)とある。

この時、旗揚げに参集した武将は150騎だったという。境内には社殿の他、新田義貞公像、義貞公旗揚げ塚、御神木、記念碑などがある。

毎年5月8日には例祭として鏑矢祭(かぶらやさい)が行なわれる。これは、義貞が旗挙げの際に鎌倉に向かって矢を放ったという故事にならったもので、生品小学校の6年生の児童が鎌倉に向かって矢を放つ行事。

境内は昭和9年(1934年)に「生品神社境内(新田義貞挙兵伝説地)」として国の史跡に指定された。平成12年(2000年)、その他関連遺跡とともに「新田荘遺跡」として指定された。

昭和58年(1983年)、新田義貞像が挙兵650年を記念して境内に安置された。平成22年(2010年)2月、この像の盗難事件が起きた。

銅像の行方は分からず、再建を求める声が高まり、翌2011年に「新田義貞公銅像再建委員会」が発足。新たな銅像は彫刻家の脇谷幸正が製作し、平成24年(2012年)5月8日に除幕式が行われた。脇谷は義貞の弟、脇屋義助の子孫にあたる。

『太平記』において、前半の主人公の一人である義貞は、この地での旗揚げ後、見事に鎌倉幕府を滅亡に追い込み、後醍醐天皇による建武新政樹立の立役者の一人となった。

しかしその後、同じく倒幕の貢献者の一人である足利尊氏と対立、尊氏が建武政権に反旗を翻すと、尊氏に対抗して転戦したが、最期は越前藤島で戦死した。その地には現在、義貞を祀る藤島神社がある。

また、当社と同じ市内には義貞を祀る新田神社がある。

【ご利益】
諸願成就、勝運・武運長久、家内安全、身体壮健
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生品神社の御朱印