古墳時代の遺跡が集中する備後の地、継体朝の時に創建された式内古社
[住所]広島県庄原市本村町1292
[電話]0824-75-0173 - 庄原市観光協会

蘇羅比古神社(そらひこじんじゃ)は、広島県庄原市本村町にある神社。御朱印の有無は不明。

延喜式』巻9・10神名帳山陽道神 備後国 三上郡「蘇羅比古神社」に比定される式内社(小社)の論社。近代社格では郷社。

御祭神は、天津日高日子穗穗手見命神倭伊波禮毘古命。例祭は11月9日。

品陀和気尊倭健命大倭根子日子賦斗邇命志那都比古神・志那都比賣神・宇迦之御魂神大山祇神手力男神須佐之男神奧津比古神奧津比女神大国主神・陣具大神を配祀する。

この地域は古墳時代の遺跡が群集しており、古墳時代の中期から後期にわたる住居趾、鍬寄遺跡がある。

また、平地に連なる社殿東寄りの緩傾斜面に鍬寄古墳群が、さらに、吉備谷古墳群など数十基の横穴式石室墳が散在している。

当地の古墳群などの背後には鉄生産者ならびに鉄製品生産者の二つの専業者の存在が指摘されている。鍬寄という地名の由來もまた鉄の生産との関連を示しているとされる。

第26代継体天皇即位年(510年)の創建と伝わる。当初は鍬寄山の山上に鎮座していたが、中世に至り、山麓の現在地に遷座したという。

備後国内において、現在の福山市内には、当社御祭神の妻・豊玉姫命を祀る天別豊姫神社や、妻の父(当社御祭神の義父)である大綿津見命を祀る沼名前神社があり、関連が指摘される場合がある。

江戸時代、万治3年(1659年)と寛保3年(1743年)の造営の記録が残る。明治6年(1873年)2月に郷社に列格、明治40年(1907年)3月19日には神饌幣帛料供進神社に指定される。

詳細は不明だが、配神にもあるように、また、県道から少し坂道を登ると赤いトタン屋根がついた大きな鳥居には「八幡宮」も併記されている。

参道脇に大杉が2本あり、右の杉が幹周5.9メートル、左の杉が幹周5.2メートルで、県の天然記念物に指定されている。

一の鳥居から二の鳥居まで桜並木があり、満開時の桜と鳥居のコラボに定評がある。当社の狛犬は、当社名「蘇羅」→空・宇宙からの連想か、天空を向いていることでも知られる。

なお、式内社「蘇羅比古神社」の論社は他に、高町、現在は川西町に当たる地に、当社および式内同名神社がある。

【ご利益】
家内安全、良縁、艱難克服
蘇羅比古神社 - 古墳時代の遺跡が集中する備後の地、継体朝の時に創建された式内古社
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