神辺大明神・甘濃厳大明神とも呼ばれた、備後最古級とされる神社の一つ
[住所]広島県福山市神辺町大字川北142-2
[電話]084-962-2027
天別豊姫神社(あまわけとよひめじんじゃ)は、広島県福山市神辺町にある神社。参拝すれば、御朱印を頂ける。
『延喜式』巻9・10神名帳の山陽道神 備後国 安那郡「天別豊姫神社」に比定される式内社(小社)。近代社格では県社。
主祭神は豊玉姫命(とよたまひめのみこと)、速進雄命(はやすさのおのみこと)、事代主神(ことしろぬしのかみ)。
古代、当社周辺は「穴海」と呼ばれる入海であったとされ、社伝では、網付谷にあった荒磯岩上に磯神社として鎮座し、のちにその奥の小中山に遷座したとされる。備後最古級とされる神社の一つ。
同じ備後国内には、 豊玉姫命の父・豊玉彦命(大綿津見命)を祀る沼名前神社(福山市鞆町)や、夫・蘇羅比古(彦火火出見命)を祀る蘇羅比古神社(庄原市)があり、当社はその中間に位置する。
国史では、元慶2年(878年)に「天別豊姫神」の神階が従五位下から従五位上に昇叙された旨が記されている。
一部資料ではこの年が創建時としているが、神階を与えられていることから考えて、創祀はさらにさかのぼる。
建武年間(1334年-1338年)、朝山景連が黄葉山に神辺城を築くにあたって当社を城の守護神とし、現在の黄葉山中腹に遷したとされる。
古くは神辺大明神(かんなべだいみょうじん)や甘濃厳大明神(かんのびだいみょうじん)とも称され、江戸時代には福山藩主の水野氏・阿部氏からの崇敬を受けた。
明治元年(1868年)、福山藩の調査で式内社とされ、同2年(1869年)に現社号に改称。明治6年(1873年)に郷社に列し、明治11年(1878年)に三間社切妻造の現本殿が造営された。
大正3年(1914年)に川北村字掛の吉備津神社を合祀、吉備津彦命(きびつひこのみこと)・火之加具土神(ひのかぐつちのかみ)を配祀する。昭和15年(1940年)、県社に昇格した。
境内社に、天王神社・稲荷神社・皇神社・弁財天祠・天神社などがある。
【ご利益】
水難除け、良縁、安産、厄災除け
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・広島県の神社 - 本サイトに掲載されている神社で、広島県に鎮座している神社の一覧
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天別豊姫神社(あまわけとよひめじんじゃ)は、広島県福山市神辺町にある神社。参拝すれば、御朱印を頂ける。
『延喜式』巻9・10神名帳の山陽道神 備後国 安那郡「天別豊姫神社」に比定される式内社(小社)。近代社格では県社。
主祭神は豊玉姫命(とよたまひめのみこと)、速進雄命(はやすさのおのみこと)、事代主神(ことしろぬしのかみ)。
古代、当社周辺は「穴海」と呼ばれる入海であったとされ、社伝では、網付谷にあった荒磯岩上に磯神社として鎮座し、のちにその奥の小中山に遷座したとされる。備後最古級とされる神社の一つ。
同じ備後国内には、 豊玉姫命の父・豊玉彦命(大綿津見命)を祀る沼名前神社(福山市鞆町)や、夫・蘇羅比古(彦火火出見命)を祀る蘇羅比古神社(庄原市)があり、当社はその中間に位置する。
国史では、元慶2年(878年)に「天別豊姫神」の神階が従五位下から従五位上に昇叙された旨が記されている。
一部資料ではこの年が創建時としているが、神階を与えられていることから考えて、創祀はさらにさかのぼる。
建武年間(1334年-1338年)、朝山景連が黄葉山に神辺城を築くにあたって当社を城の守護神とし、現在の黄葉山中腹に遷したとされる。
古くは神辺大明神(かんなべだいみょうじん)や甘濃厳大明神(かんのびだいみょうじん)とも称され、江戸時代には福山藩主の水野氏・阿部氏からの崇敬を受けた。
明治元年(1868年)、福山藩の調査で式内社とされ、同2年(1869年)に現社号に改称。明治6年(1873年)に郷社に列し、明治11年(1878年)に三間社切妻造の現本殿が造営された。
大正3年(1914年)に川北村字掛の吉備津神社を合祀、吉備津彦命(きびつひこのみこと)・火之加具土神(ひのかぐつちのかみ)を配祀する。昭和15年(1940年)、県社に昇格した。
境内社に、天王神社・稲荷神社・皇神社・弁財天祠・天神社などがある。
【ご利益】
水難除け、良縁、安産、厄災除け
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