平安時代中期に源頼義が創祀、江戸時代以前の本殿が現存する佐竹氏崇敬社
[住所]茨城県常陸太田市馬場町574
[電話]0294-73-2100

馬場八幡宮(ばばはちまんぐう)は、茨城県常陸太田市馬場町にある神社。単に八幡神社とも。近代社格では村社。御朱印の有無は不明。

主祭神は誉田別命、配祀神として息長足比咩命と比咩大神(市杵島比咩命湍津比咩命田心比咩命宗像三女神)。

平安時代中期、天喜4年(1056年)8月、源頼義が陸奥の安倍頼時鎮撫に向かう途中、現在地にあった熊野神社境内に陣を張り、社前に大石二つを置き、石清水八幡宮の御神霊を祀り祈願したのが創祀。

康平3年(1060年)10月、熊野神社を東へ奉遷し、その地に当宮を鎮斎した。永保3年(1083年)、前九年の役に向かう途上に参拝し、社頭に松を植え祈願したと伝わる。

寛治6年(1092年)、源義家・源義光が戦勝を奉賽し馬場先にて流鏑馬を奉納、天仁2年(1108年)には義光が太田城主藤原通延に命じ社殿を修築した。

源義光の孫、佐竹氏初代である佐竹昌義が太田郷の総社とし、鯨岡八幡宮と号し、応保元年(1161年)に新たに本社・殿堂・楼門・神宮寺・庁屋を造営した。

天正2年(1574年)に落雷により焼失し、天正8年(1580年)に佐竹義重により再建された。現存する本殿はこの義重による再建時のもので、現在は市指定文化財になっている。

天正19年(1591年)、佐竹義宣が当宮の御神霊を水戸城下の八幡小路に勧請、文禄元年(1592年)に現在の水戸八幡宮が創建された。

佐竹氏の当宮への崇敬は厚く、関ヶ原の戦い後の減封移封の際も、当宮の御分霊を現在の秋田千秋公園内にある八幡秋田神社へと遷祀している。

江戸時代になると、水戸藩では寺社改革が行われる。

特に「八幡潰し」では、藩内105社の八幡社のうち101社が取り潰しとなったが、当社は、水戸八幡宮(水戸市)・安良川八幡宮(高萩市)・若宮八幡宮(常陸太田市)とともに存続した4社のうちの一社。

ただしこの際、一体とされた極楽寺(常陸太田市新宿町)は取り潰されたという。

明治維新後は八幡神社と称していたが、昭和45年(1970年)10月に由緒に基づき八幡宮に改称する。

往時には5年に1度、日立市の久慈浜まで向かう浜下り神事が執り行われていた。72年ごとに行われている西金砂神社、東金砂神社の磯出大祭礼、6年ごとの西金砂神社の小祭礼に参画する。

【ご利益】
厄災除け、諸願成就
馬場八幡宮 - 平安時代中期に源頼義が創祀、江戸時代以前の本殿が現存する佐竹氏崇敬社
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