奈良時代初期に神光飛来で創建、出羽国総社とも、藤原清衡の再興
[住所]秋田県秋田市川尻総社町14-6
[電話]018-863-0930
総社神社(そうしゃじんじゃ)は、秋田県秋田市川尻総社町にある神社。出羽国総社とされる場合があり、近代社格では県社。参拝すれば、御朱印を頂ける。
奈良時代初期、神亀元年(724年)3月8日夜半、三森山(現 秋田市千秋公園)に突然神光が飛来した。その光は真昼の如き輝きを発して、山河は動鳴したとされる。
近里遠村の人々は強い驚きを感じていたところ、「我は大己貴神なり。今ここに一宮を創建し祀らば、国中安泰・諸人守護・五穀豊穣といたさん」という神勅が下った。
そこで人々が神殿を建立し、八重事代主神(やえことしろぬしのかみ)と味鋤高彦根神(あじすきたかひこねのかみ)を左右相殿として祀ったのが始まりと伝える。
御璽(みしるし)は影向の時に天降りの磐座をもって社殿に納めたものである。これより三嶽山総社大明神と称して崇敬された。
奥州押領使藤原清衡(1056年-1128年)が再興したと伝わる。第一峯に上述三神を祀り、第二峯に天照皇大神、豊受大神を祀る神明宮があり、第三峯には別宮摂末社がある。
第三峯には八幡大神、乙宮大神、祇園神、稲荷大明神、鹿島大明神、高市大明神、賀茂上下神、比咩語曽神、諏訪上下大明神、葛城神、大和大明神、大歳神、松尾大明神、竃神社、御食津神、祓所神、風神、白山神、水神など19社が鎮座していた。
鎌倉時代初期、源頼朝が東征後、家臣畠山庄次郎重忠に命じて大嶽山、小嶽山、光明山の三森を神領として広く村落を鎮守し崇敬したとされる。
慶長7年(1602年)に佐竹氏が常陸から国替えにより秋田を知行する際、居城を三森山(神明山とも)に定めたため、翌年に川尻郷下浜(現 秋田市楢山川口境)に仮遷座した。
下浜の地は低地多湿のために神地としてはふさわしくなかったが、その後元禄7年(1659年)に再び川尻上野岱の仮社地へ遷された。
ここに社殿が造営され、宝永4年(1707年)9月6日に本遷宮。以来川尻郷一帯(山王・川尻・川口・楢山)の鎮守として現在に至る。
明治45年(1912年)、第一峯から第三峯までを合祀。それまで三森山神社としていたが、現社号に改称した。現在は、神明宮、総社宮、相殿神末社宮19社という構成になっている。
川尻の地は景観がよく、文人墨客も多く訪れ、神宝・古記録などの文物も多数収納されていたが、昭和6年(1931年)の火事で焼失。
例祭は5月19日と10月19日。春季では、湯立神楽という神占(かみうらない)と巫女舞が奉納され、秋季では各種奉納活動がある。
日本のプロサッカーリーグであるJリーグのブラウブリッツ秋田が必勝祈願を行う神社である。
なお、やはり出羽国総社に推定されるものとして、酒田市市条の八幡神社、鶴岡市上藤島の六所神社がある。
【ご利益】
諸願成就、家内安全、病気平癒など(公式HP)

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[電話]018-863-0930
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奈良時代初期、神亀元年(724年)3月8日夜半、三森山(現 秋田市千秋公園)に突然神光が飛来した。その光は真昼の如き輝きを発して、山河は動鳴したとされる。
近里遠村の人々は強い驚きを感じていたところ、「我は大己貴神なり。今ここに一宮を創建し祀らば、国中安泰・諸人守護・五穀豊穣といたさん」という神勅が下った。
そこで人々が神殿を建立し、八重事代主神(やえことしろぬしのかみ)と味鋤高彦根神(あじすきたかひこねのかみ)を左右相殿として祀ったのが始まりと伝える。
御璽(みしるし)は影向の時に天降りの磐座をもって社殿に納めたものである。これより三嶽山総社大明神と称して崇敬された。
奥州押領使藤原清衡(1056年-1128年)が再興したと伝わる。第一峯に上述三神を祀り、第二峯に天照皇大神、豊受大神を祀る神明宮があり、第三峯には別宮摂末社がある。
第三峯には八幡大神、乙宮大神、祇園神、稲荷大明神、鹿島大明神、高市大明神、賀茂上下神、比咩語曽神、諏訪上下大明神、葛城神、大和大明神、大歳神、松尾大明神、竃神社、御食津神、祓所神、風神、白山神、水神など19社が鎮座していた。
鎌倉時代初期、源頼朝が東征後、家臣畠山庄次郎重忠に命じて大嶽山、小嶽山、光明山の三森を神領として広く村落を鎮守し崇敬したとされる。
慶長7年(1602年)に佐竹氏が常陸から国替えにより秋田を知行する際、居城を三森山(神明山とも)に定めたため、翌年に川尻郷下浜(現 秋田市楢山川口境)に仮遷座した。
下浜の地は低地多湿のために神地としてはふさわしくなかったが、その後元禄7年(1659年)に再び川尻上野岱の仮社地へ遷された。
ここに社殿が造営され、宝永4年(1707年)9月6日に本遷宮。以来川尻郷一帯(山王・川尻・川口・楢山)の鎮守として現在に至る。
明治45年(1912年)、第一峯から第三峯までを合祀。それまで三森山神社としていたが、現社号に改称した。現在は、神明宮、総社宮、相殿神末社宮19社という構成になっている。
川尻の地は景観がよく、文人墨客も多く訪れ、神宝・古記録などの文物も多数収納されていたが、昭和6年(1931年)の火事で焼失。
例祭は5月19日と10月19日。春季では、湯立神楽という神占(かみうらない)と巫女舞が奉納され、秋季では各種奉納活動がある。
日本のプロサッカーリーグであるJリーグのブラウブリッツ秋田が必勝祈願を行う神社である。
なお、やはり出羽国総社に推定されるものとして、酒田市市条の八幡神社、鶴岡市上藤島の六所神社がある。
【ご利益】
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