安倍宗任が山王と八幡を勧請した、秋田県内唯一の木像三重塔が残る古社
[住所]秋田県秋田市八橋本町1-4-1
[電話]018-862-3287

日吉八幡神社(ひえはちまんじんじゃ)は、秋田県秋田市八橋本町にある神社。近代社格では県社。御祭神は大山咋神大物主神八幡大神。参拝すれば、御朱印を頂ける。

社伝では、平安時代後期、源義家に滅ぼされた安倍頼時の子、宗任が比叡山で修験者となり、その晩年に日枝山王(現 日吉大社)と石清水八幡宮を勧請したと伝わる。

当初は修験寺日吉山延命寺無量寺院で、秋田郡笹岡村(現 秋田市外旭川)に鎮座したが、鎌倉時代には五十丁村(現 秋田市上新城五十丁)に移った。

その後、天正17年(1589年)に安東実季により飯島村に、元和元年(1615年)には佐竹義宣により寺内村字油田に遷ったと伝えられている。

寛永2年(1625年)に社殿を造営するも、寛永19年(1642年)春、雄物川の氾濫で社殿の大半を流失し、寛文2年(1662年)、現在地に遷座。

明和6年(1769年)、大火により焼失し、安永7年(1778年)に再建した。現存する舞殿はその時のもので、本殿はやや遅れて寛政9年(1797年)の建立。

安東氏からは社領200石が寄進され、佐竹氏の信仰も厚かったが、元和の久保田の町割りに際し外町の鎮守とされ、八橋の山王さんとして主に町人たちからの信仰を集めた。

明治時代には県社に列せられ、現在も近隣住民に親しまれている。当社の鎮座地は八幡だが、八橋運動公園の南には山王大通りがあり、その南側には「山王」を冠する町名が広がっている。

明治14年(1881年)、秋田出身の国学者・神道家である平田篤胤を顕彰し崇敬するため平田門人であった小谷部甚左衛門らの有志が、当社境内に篤胤を祀る平田神社を創建した。この平田神社が現在の彌高神社の母体である。

本殿や舞殿、明治初年に廃寺となった寿量院より移築した随神門、宝永4年(1707年)建立の三重塔などがあり、いずれも県指定有形文化財。

特に木造の三重塔が有名で、木造としては県内唯一だとされる。北側から見ると仏式、東側から見ると神式の建物配置となっている。

例祭は旧暦4月中の申と9月15日。日枝神社と八幡神社としての性格を表している。9月14日には御差鉾神事がある。境内社に大山祇神社がある。

【ご利益】
厄災除け、諸願成就
日吉八幡神社 - 安倍宗任が山王と八幡を勧請した、秋田県内唯一の木像三重塔が残る古社
【関連記事】
秋田県の旧県社 | 府県社とは? - 旧県社(縣社)・旧府社、その都道府県の中で有力な神社
秋田県の神社 - 本サイトに掲載されている神社で、秋田県に鎮座している神社の一覧
日吉八幡神社の御朱印