氷川信仰の根源? 大宮氷川と、所沢の中氷川、奥多摩の奥氷川の三神社
武蔵三氷川(むさしさんひかわ)とは、武蔵国三氷川とも呼ばれ、現在の東京都と埼玉県に鎮座する三社の氷川神社で、本社の大宮氷川神社の他、「中」「奥」が社号に着く氷川神社三社のこと。
本社の大宮氷川神社はもちろん、奥氷川神社にも問題はないが、中氷川神社は式内社であり、埼玉県所沢市内に論社が二つある。
旧県社の所沢市山口と、九村社の所沢市三ケ島。明治期から戦前にかけての近代社格制度では所沢市山口が有力で、現在でも「武蔵国三氷川中乃社」としている。
しかし、それ以前の記録を見ると、「長宮」などと呼ばれた所沢市三ケ島が優勢だった可能性もある。現在は、社家が途絶え、糀谷八幡神社の兼務神社になっている。
奥氷川神社の記録によれば、中氷川神社は「長宮」。また、牟邪志国造が多摩川流域から上流に向かって発展したため、元氷川は奥氷川であるとの考えもある。
牟邪志・知々夫の両国合一によって武蔵国が成立、国府としての府中に拠点が移動するに伴い、中氷川が勧請され、大宮氷川が確立した、という伝えもある。
東京・埼玉などを中心に今でも根強い氷川信仰。その根源、なのかもしれないのが、この武蔵三氷川である。

[住所]東京都西多摩郡奥多摩町氷川178
[電話]0428-83-2478

[住所]埼玉県所沢市三ヶ島5-1691-1
[電話]-

[住所]埼玉県所沢市山口1850
[電話]04-2922-8888

[住所]埼玉県さいたま市大宮区高鼻町1-407
[電話]048-641-0137
【関連記事】
・神社いろいろ - 社格や形式などで神社を分類したまとめ - 神社めぐり全国編
・見沼周辺の氷川三社 - 大宮氷川含むさいたま市の氷川神社三社、意味深のその配置に何が?
・江戸七氷川とは? - 江戸期に信仰を集めた、江戸にある氷川神社七社 江戸のスサノヲ信仰
本社の大宮氷川神社はもちろん、奥氷川神社にも問題はないが、中氷川神社は式内社であり、埼玉県所沢市内に論社が二つある。
旧県社の所沢市山口と、九村社の所沢市三ケ島。明治期から戦前にかけての近代社格制度では所沢市山口が有力で、現在でも「武蔵国三氷川中乃社」としている。
しかし、それ以前の記録を見ると、「長宮」などと呼ばれた所沢市三ケ島が優勢だった可能性もある。現在は、社家が途絶え、糀谷八幡神社の兼務神社になっている。
奥氷川神社の記録によれば、中氷川神社は「長宮」。また、牟邪志国造が多摩川流域から上流に向かって発展したため、元氷川は奥氷川であるとの考えもある。
牟邪志・知々夫の両国合一によって武蔵国が成立、国府としての府中に拠点が移動するに伴い、中氷川が勧請され、大宮氷川が確立した、という伝えもある。
東京・埼玉などを中心に今でも根強い氷川信仰。その根源、なのかもしれないのが、この武蔵三氷川である。
奥氷川神社

[住所]東京都西多摩郡奥多摩町氷川178
[電話]0428-83-2478
中氷川神社(所沢市三ケ島)

[住所]埼玉県所沢市三ヶ島5-1691-1
[電話]-
中氷川神社(所沢市山口)

[住所]埼玉県所沢市山口1850
[電話]04-2922-8888
氷川神社

[住所]埼玉県さいたま市大宮区高鼻町1-407
[電話]048-641-0137
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