最初の東照宮勧請、江戸初期の本殿が重文、平成になって宗教法人は破産
[住所]青森県弘前市笹森町38
[電話]0172-33-8240
弘前東照宮(ひろさきとうしょうぐう)は、青森県弘前市笹森町にある神社。近代社格では県社。正式名称は東照宮のみ。御祭神は、徳川家康公(東照大権現)と天照皇大御神。全国にある東照宮の一つ。
御朱印の有無は不明だが、後述のように宗教法人は破産しているため、頂けない可能性が高い。全国東照宮連合会に加盟していた。
弘前藩第2代藩主の津軽信枚が天海を通じて幕府に日光東照宮から東照大権現の御神霊を迎えることを願い出、元和3年(1617年)に弘前城天守の傍らに東照大権現を勧請した。
この勧請は御三家を始めとする徳川家一門や他藩に先行する最初の東照宮の勧請となった。信枚の正室で御祭神の養女であった満天姫が養父に孝養を尽くそうという願いによるもの。
その後寛永元年(1624年)に弘前城の北東に位置する現在地に遷座し、寛永5年(1628年)に社殿を造営、天台宗東照院(後の薬王院)を別当と定め、同院の子院6坊を社僧にし、また別に神職2家(桃井和泉守、山辺丹後守)を配した。
寛永5年当時の本殿が現存しており、華麗な装飾で知られる全国の東照宮の中では素木造で、彫刻や金具を殆ど用いない簡素な造りなのが特徴。桃山時代の建築技術が生かされており、国の重要文化財に指定されている。
附指定の棟札3枚から、延享5年(1748年)、安永7年(1778年)、寛政4年(1792年)に修補が行われていることが分かる。
『津軽一統志』によれば薬王院に200石、社僧と神職には各15石が給され、その神事は存命中は満天姫がこれを差配したが、寛永15年(1638年)の姫歿後は別当たる薬王院が管掌した。天和3年(1683年)の時点で薬王院の子院は6坊から12坊に増加している。
創祀以来藩直轄の神社とされ、藩主も度々社参するなど尊崇され、明和2年(1765年)4月には「東照宮百五十年忌」が斎行された。文政元年(1818年)には拝殿が建立され、第9代藩主寧親の時代には社殿の改築が行われている。
明治初年に廃祠とされそうになったが、明治3年(1870年)に住民の希望で神仏判然令により別当薬王院と分離しつつ復興。明治12年(1879年)に郷社、明治14年(1881年)11月に県社に昇格した。
平成になると、境内で運営していた結婚式場への過大投資などが原因で経営難に陥り、平成19年(2007年)に宗教活動を停止、翌平成20年(2008年)には文化財指定の本殿を除く境内や建物を競売にかけた。
しかし、債務整理が進まなかったために平成24年(2012年)に破産手続開始の決定を受け、本殿も競売などにより売却される見通しとなった。現在は市への寄付という形で調整が進んでいる。
ちなみに法人格を有する神社としては、平成15年(2003年)の伊勢山皇大神宮に続く2例目の破産だいう。
【ご利益】
諸願成就

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弘前東照宮(ひろさきとうしょうぐう)は、青森県弘前市笹森町にある神社。近代社格では県社。正式名称は東照宮のみ。御祭神は、徳川家康公(東照大権現)と天照皇大御神。全国にある東照宮の一つ。
御朱印の有無は不明だが、後述のように宗教法人は破産しているため、頂けない可能性が高い。全国東照宮連合会に加盟していた。
弘前藩第2代藩主の津軽信枚が天海を通じて幕府に日光東照宮から東照大権現の御神霊を迎えることを願い出、元和3年(1617年)に弘前城天守の傍らに東照大権現を勧請した。
この勧請は御三家を始めとする徳川家一門や他藩に先行する最初の東照宮の勧請となった。信枚の正室で御祭神の養女であった満天姫が養父に孝養を尽くそうという願いによるもの。
その後寛永元年(1624年)に弘前城の北東に位置する現在地に遷座し、寛永5年(1628年)に社殿を造営、天台宗東照院(後の薬王院)を別当と定め、同院の子院6坊を社僧にし、また別に神職2家(桃井和泉守、山辺丹後守)を配した。
寛永5年当時の本殿が現存しており、華麗な装飾で知られる全国の東照宮の中では素木造で、彫刻や金具を殆ど用いない簡素な造りなのが特徴。桃山時代の建築技術が生かされており、国の重要文化財に指定されている。
附指定の棟札3枚から、延享5年(1748年)、安永7年(1778年)、寛政4年(1792年)に修補が行われていることが分かる。
『津軽一統志』によれば薬王院に200石、社僧と神職には各15石が給され、その神事は存命中は満天姫がこれを差配したが、寛永15年(1638年)の姫歿後は別当たる薬王院が管掌した。天和3年(1683年)の時点で薬王院の子院は6坊から12坊に増加している。
創祀以来藩直轄の神社とされ、藩主も度々社参するなど尊崇され、明和2年(1765年)4月には「東照宮百五十年忌」が斎行された。文政元年(1818年)には拝殿が建立され、第9代藩主寧親の時代には社殿の改築が行われている。
明治初年に廃祠とされそうになったが、明治3年(1870年)に住民の希望で神仏判然令により別当薬王院と分離しつつ復興。明治12年(1879年)に郷社、明治14年(1881年)11月に県社に昇格した。
平成になると、境内で運営していた結婚式場への過大投資などが原因で経営難に陥り、平成19年(2007年)に宗教活動を停止、翌平成20年(2008年)には文化財指定の本殿を除く境内や建物を競売にかけた。
しかし、債務整理が進まなかったために平成24年(2012年)に破産手続開始の決定を受け、本殿も競売などにより売却される見通しとなった。現在は市への寄付という形で調整が進んでいる。
ちなみに法人格を有する神社としては、平成15年(2003年)の伊勢山皇大神宮に続く2例目の破産だいう。
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