水内郡一の大社・健御名方富命彦神別神社の后神で、『日本書紀』記載社か
[住所]長野県長野市南長野本郷219-1
[電話]026-232-6307

妻科神社(つましなじんじゃ)は、長野県長野市南長野本郷にある神社。長電長野線の権堂駅の西約1.5キロ。

湯福神社木留神社加茂神社柳原神社と同じく上西之門町に鎮座する弥栄神社の兼務神社であり、当社の御朱印も弥栄神社で頂ける。

延喜式』巻9・10神名帳 東山道神 信濃国 水内郡「妻科神社」に比定される式内社(小社)。近代社格では県社

主祭神は建御名方神の后神である八坂刀売命で、相殿に建御名方命・彦神別命を祀る。善光寺七社の一社で、湯福神社武井神社とともに善光寺三鎮守(善光寺三社)と言われる。

創建は不詳。社名が示すように、当社は水内郡一の大社である健御名方富命彦神別神社(長野市長野など複数の論社がある)の后神の社と伝える。

両社をして『日本書紀』持統天皇5年(691年)8月23日条に記載のある「水内神」とみる説もある。

伝承では、建御雷神と争って敗れた建御名方神は出雲から海沿いに逃れて北上。千曲川を遡って横山(善光寺付近)に辿り着いたところで追撃する建御雷神に迫られて応戦した。

この際、后神は裾花川上流のこの地に戦火を逃れて隠れ潜んだことから、社号が生じたという。

この時に建御名方神は再び敗れて負傷し、上田の生島足島神社に逃れて養生をしてから諏訪に至ったとも伝える。

文献上の初見は、貞観2年(860年)に神階を賜ったとする『日本三代実録』の記載。かつては本殿裏に接して「御宝塚」という古墳があったと伝えられる。

なお、湯福神社には御宝塚という大石が、善光寺開祖・本田善光の墓として廟の中で祀られている。

南方の長野県庁周辺では古代の集落跡(県町遺跡)が発見されており、当社との関係が指摘されている。また神社境内からは黒曜石の鏃が見つかることがある。

江戸時代には松代藩から社領として2石が寄進された。明治6年(1873年)、郷社に列し、昭和6年(1931年)に県社に昇格した。

周辺の武井神社・湯福神社・健御名方富命彦神別神社の4社持ち回りで、諏訪大社と同様、寅年・申年に御柱祭を行なっておいる。

健御名方富命彦神別神社が建御名方命を祀り、建御名方命の和魂を祀る武井神社、建御名方命の荒魂を祀る湯福神社とともに、当社(建御名方命の妻)を含め、四社が対になっているともされる。

例祭は10月2日で、秋祭。10月1日の宵宮では杜花火が奉納される。7月末日には虫送祭が、8月30日には風鎮祭がある。

摂末社に天神社・聖徳社・水神社・養蚕社がある。このうち、聖徳社は聖徳宮とも呼ばれ、善光寺・弥栄神社の祇園祭はこの神を中心に執行されたという。

なお、当社の南側は地価公示価格が住宅地としては長野県内有数であり、地価関連の報道では「妻科神社南」として頻出する。

【ご利益】
縁結び、夫婦和合、家内安全
妻科神社 - 水内郡一の大社・健御名方富命彦神別神社の后神で、『日本書紀』記載社か
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善光寺七社
美和神社
湯福神社 - 善光寺三鎮守(善光寺三社)
武井神社 - 善光寺三鎮守(善光寺三社)
妻科神社 - 善光寺三鎮守(善光寺三社)
加茂神社
木留神社
柳原神社(笹焼神社)
妻科神社の御朱印