氣多大社の本宮とも、式内・能登生国玉比古神社で、3月に通称「おいで祭」
[住所]石川県七尾市所口町ハ部70-1
[電話]0767-52-2848
気多本宮(けたほんぐう、氣多本宮)は、石川県七尾市にある神社。『延喜式神名帳』にある「能登生国玉比古神社(能登国・能登郡)」に比定される式内社(小社)の論社。近代社格では県社。参拝すれば、御朱印を頂ける。
正式には式内社名同様、能登生国玉比古神社(のといくくにたまひこじんじゃ、能登生國玉比古神社)と称する。能登国総鎮守で、上代には能登の大神と仰がれていた。大己貴命を御祭神とする。
素戔嗚尊・奇稻田姫命を配祀し、事代主神・底筒男神・中筒男神・上筒男神・建御名方命・多遲摩毛理命を合祀する。
第8代孝元天皇の治世に創祀されたと伝える。第10代崇神天皇の御代に羽咋の竹津浦に御祭神を分霊し、気多神社(現 氣多大社)が創祀された。それから気多本宮と称するようになった。
天正年間(1573年-1593年)に前田利家が旧社地より現在の所口に奉遷。明治5年(1872年)3月23日に県社に列し、明治39年(1906年)12月29日には神饌幣帛料供進神社に指定された。
大正12年(1923年)には神門及び拝殿を銅葺とし、昭和42年(1967年)より4年にわたり社殿を大修理した。
3月21日には平国祭(くにむけのまつり)、通称「おいで祭」が行われる。氣多大社が主催するもので、御祭神が邪神・兇賊を征服し、北陸道を開拓した神跡を偲ぶ。
神馬を先頭に2市2郡(羽咋市・羽咋郡・鹿島郡・七尾市)300キロの行程を、5泊6日かけて50余名で巡行する神事。
12月13日にはやはり氣多大社と同様、新嘗祭としての鵜祭が行われる。境内社として、御門神社、稲荷神社、菅原神社、鍛冶祖神社がある。
なお、式内社「能登生国玉比古神社」の論社は他に、鹿島郡中能登町の能登生国玉比古神社と能登部神社がある。
【ご利益】
平穏安寧、家内安全、良縁・縁結び、夫婦和合など

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[電話]0767-52-2848
気多本宮(けたほんぐう、氣多本宮)は、石川県七尾市にある神社。『延喜式神名帳』にある「能登生国玉比古神社(能登国・能登郡)」に比定される式内社(小社)の論社。近代社格では県社。参拝すれば、御朱印を頂ける。
正式には式内社名同様、能登生国玉比古神社(のといくくにたまひこじんじゃ、能登生國玉比古神社)と称する。能登国総鎮守で、上代には能登の大神と仰がれていた。大己貴命を御祭神とする。
素戔嗚尊・奇稻田姫命を配祀し、事代主神・底筒男神・中筒男神・上筒男神・建御名方命・多遲摩毛理命を合祀する。
第8代孝元天皇の治世に創祀されたと伝える。第10代崇神天皇の御代に羽咋の竹津浦に御祭神を分霊し、気多神社(現 氣多大社)が創祀された。それから気多本宮と称するようになった。
天正年間(1573年-1593年)に前田利家が旧社地より現在の所口に奉遷。明治5年(1872年)3月23日に県社に列し、明治39年(1906年)12月29日には神饌幣帛料供進神社に指定された。
大正12年(1923年)には神門及び拝殿を銅葺とし、昭和42年(1967年)より4年にわたり社殿を大修理した。
3月21日には平国祭(くにむけのまつり)、通称「おいで祭」が行われる。氣多大社が主催するもので、御祭神が邪神・兇賊を征服し、北陸道を開拓した神跡を偲ぶ。
神馬を先頭に2市2郡(羽咋市・羽咋郡・鹿島郡・七尾市)300キロの行程を、5泊6日かけて50余名で巡行する神事。
12月13日にはやはり氣多大社と同様、新嘗祭としての鵜祭が行われる。境内社として、御門神社、稲荷神社、菅原神社、鍛冶祖神社がある。
なお、式内社「能登生国玉比古神社」の論社は他に、鹿島郡中能登町の能登生国玉比古神社と能登部神社がある。
【ご利益】
平穏安寧、家内安全、良縁・縁結び、夫婦和合など

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