垂仁天皇期の創建、古河公方奉納の金印が現存、60年ごとの式年大祭神幸祭
[住所]千葉県銚子市猿田町1677-1
[電話]0479-33-0362
猿田神社(さるだじんじゃ)は、千葉県銚子市猿田町にある神社。近代社格では無格社。古くから八方除けなどのご利益で知られ、信仰されている。参拝すれば、御朱印を頂ける。
主祭神は猿田彦大神・天鈿女命・菊理媛命。社伝によれば、第11代垂仁天皇25年11月25日の創建。神功皇后の御世に生田神社(神戸市中央区)の摂社になったという。
大同2年(807年)に社殿を造営、康平年間(1058年-1065年)には源頼義が神田を寄進し、鎌倉時代以降も武家の信仰が篤く源頼朝も寄進したと伝えられる。
大土御祖神、庚申神、開運導神、七五三祝、子育神としての庶民信仰が深く、鎌倉時代より檀那場と称する下総、上総、常陸の国にわたる476ヶ村の総氏神として崇敬された。
第4代古河公方(在職:1535年-1552年)の足利晴氏は金印を奉納し、その当時のものという印が現存する。
永禄9年(1566年)、海上氏と安房正木氏との合戦で社殿を焼失、元亀年間(1570年-1573年)に再建するも天正元年(1573年)に再び焼失、翌天正2年(1574年)に再建された。
現本殿は延宝8年(1680年)に改築されたもので、県指定有形文化財。なお、天正19年(1591年)には徳川家康も朱印地30石を寄進した。
例祭は11月15日。庚申の年(60年ごと)に式年大祭神幸祭がある。社叢は県指定天然記念物となっている。境内の御神水はお水取りの場としても有名。神仏習合の名残で、仏滅の日は社務所が休みとなる。
参道に先神橋というJR総武本線をまたぐ橋がある。これは、明治30年(1897年)に総武鉄道が銚子まで開通した時に参道を分断してしまうことになったため、鉄道会社により造られたものである。
猿田彦命を祀る猿田彦神社は全国に多数あるが、「猿田神社」という社号は当社のみ、全国唯一。皇居のほぼ真東に鎮座し、パワースポットとしても人気がある。
【ご利益】
八方除け、交通安全、家内安全、商売繁盛、厄災除けなど

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猿田神社(さるだじんじゃ)は、千葉県銚子市猿田町にある神社。近代社格では無格社。古くから八方除けなどのご利益で知られ、信仰されている。参拝すれば、御朱印を頂ける。
主祭神は猿田彦大神・天鈿女命・菊理媛命。社伝によれば、第11代垂仁天皇25年11月25日の創建。神功皇后の御世に生田神社(神戸市中央区)の摂社になったという。
大同2年(807年)に社殿を造営、康平年間(1058年-1065年)には源頼義が神田を寄進し、鎌倉時代以降も武家の信仰が篤く源頼朝も寄進したと伝えられる。
大土御祖神、庚申神、開運導神、七五三祝、子育神としての庶民信仰が深く、鎌倉時代より檀那場と称する下総、上総、常陸の国にわたる476ヶ村の総氏神として崇敬された。
第4代古河公方(在職:1535年-1552年)の足利晴氏は金印を奉納し、その当時のものという印が現存する。
永禄9年(1566年)、海上氏と安房正木氏との合戦で社殿を焼失、元亀年間(1570年-1573年)に再建するも天正元年(1573年)に再び焼失、翌天正2年(1574年)に再建された。
現本殿は延宝8年(1680年)に改築されたもので、県指定有形文化財。なお、天正19年(1591年)には徳川家康も朱印地30石を寄進した。
例祭は11月15日。庚申の年(60年ごと)に式年大祭神幸祭がある。社叢は県指定天然記念物となっている。境内の御神水はお水取りの場としても有名。神仏習合の名残で、仏滅の日は社務所が休みとなる。
参道に先神橋というJR総武本線をまたぐ橋がある。これは、明治30年(1897年)に総武鉄道が銚子まで開通した時に参道を分断してしまうことになったため、鉄道会社により造られたものである。
猿田彦命を祀る猿田彦神社は全国に多数あるが、「猿田神社」という社号は当社のみ、全国唯一。皇居のほぼ真東に鎮座し、パワースポットとしても人気がある。
【ご利益】
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