奈良期創建、4月例大祭の平塩舞楽と男根の御神体を奪い合う「御塞神祭」
[住所]山形県寒河江市平塩1-1
[電話]0237-86-0165
平塩熊野神社(ひらしおくまのじんじゃ)は、山形県寒河江市平塩地区にある熊野神社。近代社格では郷社。主祭神は素盞嗚尊・伊弉冉命・伊弉諾尊である。御朱印の有無は不明。
社伝によれば、奈良時代の養老5年(721年)、行基が熊野三山を勧請して開山し、行基の高弟勝覚が別当として補佐したという。
前九年の役(1051年-1062年)にあたり、源頼義・義家が戦勝を祈願し、康平5年(1061年)に田畑・山林と鏡二面を寄進した。また応徳3年(1086年)、後三年の役の時に再建された。
文治5年(1189年)、寒河江荘の地頭となった大江氏(寒河江氏)から社領を与えられ、その譜代の家臣であった長崎中山氏の保護を受けた。
中山氏は7000石と称する地域を有し、当社を祈願所として定め、北目(山辺町北垣)・高屋(寒河江市高屋)・伏熊(大江町三郷)に当社の分社をおいて郷の鎮守とした。
もともとは熊野三所権現にならい、護摩堂・内御堂・如法堂に分かれていたが、明応年間(1492年-1501年)に現在地に合祀された。
大江氏が滅ぶと中山氏は最上氏に属し、当社も最上氏の保護を受けた。最上氏改易後は幕府より149石余の御朱印地を与えられた。
明治に入ると神仏分離令により神社となり、村人の葬礼を担当する平塩寺(へいえんじ)を設立。廃仏毀釈の際、十王像を隠匿するため裏山へ埋めて隠した。
この十王像は平成18年(2006年)から補修が行われている。12世紀半ばの作とされ、日本における十王信仰の最初期の作で、画像・彫像を通じて最古の作例。県指定文化財。
例祭は4月3日。県指定無形民族文化財の平塩舞楽が奉納される。「平塩のドンドンカッカ」とも。十番の舞が披露されるが、太平楽は旧暦の閏年のみ。
平塩舞楽は、もとは立石寺(山寺)・慈恩寺・谷地八幡宮と同じく林家が舞を披露していたが、天正年間(1573年-1593年)に社人が伝承するようになった。
旧暦1月15日、およそ2月下旬に御塞神祭(おさいじんさい)という除災招福の行事が行われる。700年以上前から伝わっているとされている。
松の木で男根を型どった御神体を彫り、入魂後、当社参道の東に鎮座する塞の神に供え、集まった人々に撒かれる。拾った人には福が訪れると伝えられ、激しく奪い合う。
【ご利益】
子宝・家内安全・健康長寿

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[電話]0237-86-0165
平塩熊野神社(ひらしおくまのじんじゃ)は、山形県寒河江市平塩地区にある熊野神社。近代社格では郷社。主祭神は素盞嗚尊・伊弉冉命・伊弉諾尊である。御朱印の有無は不明。
社伝によれば、奈良時代の養老5年(721年)、行基が熊野三山を勧請して開山し、行基の高弟勝覚が別当として補佐したという。
前九年の役(1051年-1062年)にあたり、源頼義・義家が戦勝を祈願し、康平5年(1061年)に田畑・山林と鏡二面を寄進した。また応徳3年(1086年)、後三年の役の時に再建された。
文治5年(1189年)、寒河江荘の地頭となった大江氏(寒河江氏)から社領を与えられ、その譜代の家臣であった長崎中山氏の保護を受けた。
中山氏は7000石と称する地域を有し、当社を祈願所として定め、北目(山辺町北垣)・高屋(寒河江市高屋)・伏熊(大江町三郷)に当社の分社をおいて郷の鎮守とした。
もともとは熊野三所権現にならい、護摩堂・内御堂・如法堂に分かれていたが、明応年間(1492年-1501年)に現在地に合祀された。
大江氏が滅ぶと中山氏は最上氏に属し、当社も最上氏の保護を受けた。最上氏改易後は幕府より149石余の御朱印地を与えられた。
明治に入ると神仏分離令により神社となり、村人の葬礼を担当する平塩寺(へいえんじ)を設立。廃仏毀釈の際、十王像を隠匿するため裏山へ埋めて隠した。
この十王像は平成18年(2006年)から補修が行われている。12世紀半ばの作とされ、日本における十王信仰の最初期の作で、画像・彫像を通じて最古の作例。県指定文化財。
例祭は4月3日。県指定無形民族文化財の平塩舞楽が奉納される。「平塩のドンドンカッカ」とも。十番の舞が披露されるが、太平楽は旧暦の閏年のみ。
平塩舞楽は、もとは立石寺(山寺)・慈恩寺・谷地八幡宮と同じく林家が舞を披露していたが、天正年間(1573年-1593年)に社人が伝承するようになった。
旧暦1月15日、およそ2月下旬に御塞神祭(おさいじんさい)という除災招福の行事が行われる。700年以上前から伝わっているとされている。
松の木で男根を型どった御神体を彫り、入魂後、当社参道の東に鎮座する塞の神に供え、集まった人々に撒かれる。拾った人には福が訪れると伝えられ、激しく奪い合う。
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