独自の伝承・柑子女神をも祀る、近世は牛頭天王社だった式内古社
[住所]愛媛県今治市八町西3-3-15
[電話]0898-31-1369
樟本神社(くすもとじんじゃ)は、愛媛県今治市にある神社。御朱印の有無は不明。
『延喜式』巻9・10神名帳 南海道神 伊予国 越智郡「樟本神社」に比定される式内社(小社)。近代社格では村社。
御祭神は素盞鳴命で、明治41年(1908年)5月10日に柑子神社を合併し、柑子女神(皇女神とも)を合祀する。
当社そのものの由緒はあまり詳しく伝えられていない。『延喜式神名帳』の他、六国史にも記載があるところから、相当昔から崇敬されてきた社であることは間違いない。
社名から考えれば、「木」との関わりが深いことが考えられ、『伊豫二名集』では当社御祭神を「木神」としている。素盞鳴命の子には木の神である五十猛命がいる。
江戸時代には牛頭天王社と呼ばれ、社地一帯の地名にも「天皇」と付いていた。当時は「くすもと」ではなく、「まきもと」と呼ばれていたという。
どちらかと言えば、近世には柑子神社の末社的に扱いがなされ続けたという。明治になって、式内社重視の風潮から主客が逆転、柑子神社を合併したものと考えられる。
柑子神社は、当地独特の伝承を残す。永暦年間(1160年-1161年)という極めて具体的な年代が伝わっている伝承である。
付近に富豪一家が住んでおり、そこへ身なりは良くないが、どこか気品のある女が一人、ふらりとやって来た。
「私は常世の国の生まれで、名は柑子と申します。どうか下女にでも使って下さい」と懇願され、主人は同情して使うことにした。
柑子はかいがいしく働き、特に料理が上手で、主人夫婦をはじめ家中の者から「柑子や、柑子や」と大事にされた。
しかし、柑子は、料理をする時は人を一切近づけず、料理のコツを教えようとはしない。そこで主人夫婦が料理をしている柑子の様子を覗き見ると。
蛇を使って料理に味を付けていた。「長虫を食わせやがって」と怒り狂った主人がその場で柑子を斬り捨てたという。屋敷の裏の竹藪には料理に使った蛇のうろこが大量に積み上げられていたという。
あるいは、料理のコツを知りたかった主人の妻が、柑子に暇を出して外出させた隙に、台所を調べてみると、蛇の頭や骨が散乱していた。そこで柑子をきつく叱ると、柑子は悩み苦しんだ末に自殺した、というもの。
しかし、柑子を手討ちにしてから(あるいは自殺してから、か)7日目に、主人が原因不明の病気にかかり急死、続いてその妻も狂って入水、子供たちも次々と病死し、半年もたたないうちに一家全滅した。
そこで村人はこれは柑子の祟りであると恐れ、「柑子女神」として祀り上げ、宮を造り、その霊を丁重に慰め、村の平和を祈ったという。
この柑子神社は鎌倉時代末の『免田記』にも登場するほど、有名になったという。柑子神社の旧地には現在織物工場が建っているが、柱の土台になった磁石が今も残されているという。
当社そのものは、嘉永6年(1853年)の造営に関する記録があり、明治4年(1871年)には村社に列格している。例祭は10月10日。
【ご利益】
厄災除け、家内安全、諸願成就など

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・愛媛県の神社 - 本サイトに掲載されている神社で、愛媛県に鎮座している神社の一覧
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樟本神社(くすもとじんじゃ)は、愛媛県今治市にある神社。御朱印の有無は不明。
『延喜式』巻9・10神名帳 南海道神 伊予国 越智郡「樟本神社」に比定される式内社(小社)。近代社格では村社。
御祭神は素盞鳴命で、明治41年(1908年)5月10日に柑子神社を合併し、柑子女神(皇女神とも)を合祀する。
当社そのものの由緒はあまり詳しく伝えられていない。『延喜式神名帳』の他、六国史にも記載があるところから、相当昔から崇敬されてきた社であることは間違いない。
社名から考えれば、「木」との関わりが深いことが考えられ、『伊豫二名集』では当社御祭神を「木神」としている。素盞鳴命の子には木の神である五十猛命がいる。
江戸時代には牛頭天王社と呼ばれ、社地一帯の地名にも「天皇」と付いていた。当時は「くすもと」ではなく、「まきもと」と呼ばれていたという。
どちらかと言えば、近世には柑子神社の末社的に扱いがなされ続けたという。明治になって、式内社重視の風潮から主客が逆転、柑子神社を合併したものと考えられる。
柑子神社は、当地独特の伝承を残す。永暦年間(1160年-1161年)という極めて具体的な年代が伝わっている伝承である。
付近に富豪一家が住んでおり、そこへ身なりは良くないが、どこか気品のある女が一人、ふらりとやって来た。
「私は常世の国の生まれで、名は柑子と申します。どうか下女にでも使って下さい」と懇願され、主人は同情して使うことにした。
柑子はかいがいしく働き、特に料理が上手で、主人夫婦をはじめ家中の者から「柑子や、柑子や」と大事にされた。
しかし、柑子は、料理をする時は人を一切近づけず、料理のコツを教えようとはしない。そこで主人夫婦が料理をしている柑子の様子を覗き見ると。
蛇を使って料理に味を付けていた。「長虫を食わせやがって」と怒り狂った主人がその場で柑子を斬り捨てたという。屋敷の裏の竹藪には料理に使った蛇のうろこが大量に積み上げられていたという。
あるいは、料理のコツを知りたかった主人の妻が、柑子に暇を出して外出させた隙に、台所を調べてみると、蛇の頭や骨が散乱していた。そこで柑子をきつく叱ると、柑子は悩み苦しんだ末に自殺した、というもの。
しかし、柑子を手討ちにしてから(あるいは自殺してから、か)7日目に、主人が原因不明の病気にかかり急死、続いてその妻も狂って入水、子供たちも次々と病死し、半年もたたないうちに一家全滅した。
そこで村人はこれは柑子の祟りであると恐れ、「柑子女神」として祀り上げ、宮を造り、その霊を丁重に慰め、村の平和を祈ったという。
この柑子神社は鎌倉時代末の『免田記』にも登場するほど、有名になったという。柑子神社の旧地には現在織物工場が建っているが、柱の土台になった磁石が今も残されているという。
当社そのものは、嘉永6年(1853年)の造営に関する記録があり、明治4年(1871年)には村社に列格している。例祭は10月10日。
【ご利益】
厄災除け、家内安全、諸願成就など

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