讃岐開拓の神と陵墓伝承、菅原道真が降雨を祈願した明神原の地
[住所]香川県坂出市府中町本村4760
[電話]0877-48-1936
城山神社(きやまじんじゃ)は、香川県坂出市府中町本村にある神社。印鑰大明神とも。参拝すれば、御朱印を頂ける。
『延喜式』巻9・10神名帳 南海道神 讃岐国 阿野郡「城山神社」に比定される式内社(名神大社)。ただし、『延喜式』臨時祭「名神祭」には掲載されていない。近代社格では県社。
市南部に立つ城山(きやま)の東麓に鎮座し、その山名を社名とする。讃岐の開拓に関係する神社として古くから社格が高く、朝廷からも崇敬され、讃岐国内では名神大社三社の一社に数えられた。
主祭神は神櫛別命(かみくしわけのみこと)。第12代景行天皇の皇子で、讃岐国造の祖。天照大神・天御中主神を合祀する。
社伝では、主祭神は、景行天皇の御代に南海で悪魚を退治した功で讃岐国造に任じられたという。のち館を城山に造営して住んでいたが、第14代仲哀天皇8年に120歳で没した。
その後、祠を建てその神霊を祀ったのが当社の始まりと伝える。神櫛別命に関しては、『日本書紀』にも「神櫛王は讃岐国造の祖である」と記載されている。
なお『先代旧事本紀』「国造本紀」では「神櫛別命三世孫の須売保礼命が応神天皇期に讃岐国造の任を賜った」と記している。
神櫛王墓が高松市牟礼町牟礼にある。宮内庁が所管している。ただし、当社社伝では神櫛別命の墓は今は鼓岡神社があるその前方後円墳だとしている。
県内の東かがわ市にある白鳥神社や、琴平町の櫛梨神社、善通寺市の大麻神社などにも神櫛別命の伝承が残る。
なお、神櫛別命の裔に関して、さぬき市の神前神社、丸亀市綾歌町栗熊西の宇閇神社、まんのう町神野の神野神社に伝承が残る。
また、社伝では元々は城山一峰に残る明神原の地に鎮座していたとしている。明神原には現在も巨石数個が立つ。
仁和4年(888年)、讃岐国司として国府にいた菅原道真は、当社・明神原の地で降雨祈願を行い、成功して豊作をもたらした。当社境内には雨請天満宮がある。
また、道真祈願と関連して、国の重要無形民俗文化財に指定されている「滝宮の念仏踊」が伝わる滝宮天満宮・瀧宮神社が綾歌郡綾南町にある。
中世の様子は不明であるが次第に衰退したと見られ、その後貞治元年(1362年)の細川頼之・清氏の合戦の兵火で焼失した。
そのため御神体のみが印鑰の地に移されて小祠が建てられ、のち現在地に移された。印鑰大明神の由来と思われる。
境内社は他に、四神殿がある。また境外末社に、福宮神社・御霊神社・金刀比羅宮・須佐之男社・市杵島社・砂野神社がある。
【ご利益】
家内安全、事業発展、天候祈願など
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[電話]0877-48-1936
城山神社(きやまじんじゃ)は、香川県坂出市府中町本村にある神社。印鑰大明神とも。参拝すれば、御朱印を頂ける。
『延喜式』巻9・10神名帳 南海道神 讃岐国 阿野郡「城山神社」に比定される式内社(名神大社)。ただし、『延喜式』臨時祭「名神祭」には掲載されていない。近代社格では県社。
市南部に立つ城山(きやま)の東麓に鎮座し、その山名を社名とする。讃岐の開拓に関係する神社として古くから社格が高く、朝廷からも崇敬され、讃岐国内では名神大社三社の一社に数えられた。
主祭神は神櫛別命(かみくしわけのみこと)。第12代景行天皇の皇子で、讃岐国造の祖。天照大神・天御中主神を合祀する。
社伝では、主祭神は、景行天皇の御代に南海で悪魚を退治した功で讃岐国造に任じられたという。のち館を城山に造営して住んでいたが、第14代仲哀天皇8年に120歳で没した。
その後、祠を建てその神霊を祀ったのが当社の始まりと伝える。神櫛別命に関しては、『日本書紀』にも「神櫛王は讃岐国造の祖である」と記載されている。
なお『先代旧事本紀』「国造本紀」では「神櫛別命三世孫の須売保礼命が応神天皇期に讃岐国造の任を賜った」と記している。
神櫛王墓が高松市牟礼町牟礼にある。宮内庁が所管している。ただし、当社社伝では神櫛別命の墓は今は鼓岡神社があるその前方後円墳だとしている。
県内の東かがわ市にある白鳥神社や、琴平町の櫛梨神社、善通寺市の大麻神社などにも神櫛別命の伝承が残る。
なお、神櫛別命の裔に関して、さぬき市の神前神社、丸亀市綾歌町栗熊西の宇閇神社、まんのう町神野の神野神社に伝承が残る。
また、社伝では元々は城山一峰に残る明神原の地に鎮座していたとしている。明神原には現在も巨石数個が立つ。
仁和4年(888年)、讃岐国司として国府にいた菅原道真は、当社・明神原の地で降雨祈願を行い、成功して豊作をもたらした。当社境内には雨請天満宮がある。
また、道真祈願と関連して、国の重要無形民俗文化財に指定されている「滝宮の念仏踊」が伝わる滝宮天満宮・瀧宮神社が綾歌郡綾南町にある。
中世の様子は不明であるが次第に衰退したと見られ、その後貞治元年(1362年)の細川頼之・清氏の合戦の兵火で焼失した。
そのため御神体のみが印鑰の地に移されて小祠が建てられ、のち現在地に移された。印鑰大明神の由来と思われる。
境内社は他に、四神殿がある。また境外末社に、福宮神社・御霊神社・金刀比羅宮・須佐之男社・市杵島社・砂野神社がある。
【ご利益】
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