イザナミとカグツチが眠る日本最古の地、2月と10月の例大祭「御縄掛け神事」
[住所]三重県熊野市有馬町上地130
[電話]0597-89-0100

花窟神社(はなのいわやじんじゃ)は、三重県熊野市有馬町にある神社。花の窟神社、花乃窟神社などとも表記される。参拝すれば、御朱印を頂ける。

伊弉冊尊(伊弉冉尊)と軻遇突智尊を祀る、日本最古の地。世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」の「熊野参詣道伊勢路」の一部。

『日本書紀』神代巻上一書に、伊弉冉尊は軻遇突智の出産時に陰部を焼かれて死に、「紀伊国の熊野の有馬村」に埋葬され、以来近隣の住人たちは、季節の花を供えて伊弉冉尊を祀ったとある。

当社では、これが当地であると伝え、社名も「花を供えて祀った岩屋」ということによるものであるとしており、花を供えるのは後述の御縄掛け神事にも引き継がれている。

御神体である巨岩の麓にある「ほと穴」と呼ばれる高さ6メートル、幅2.5メートル、深さ50センチほどの大きな窪みがある岩陰が伊弉冉尊の葬地であるとされる。

白石を敷き詰めて玉垣で囲んだ拝所が設けられている。

一説には、伊弉冉尊を葬った地はおよそ西1.3キロメートル先にある産田神社(うぶたじんじゃ)であり、当社はこの火の神である軻遇突智の御陵であるともいう。

当社では、伊弉冉尊の拝所の対面にある高さ18メートルの巨岩が、軻遇突智の墓所としている。
紀の国や 有馬の村に ます神に 手向る花は 散らじとそ思ふ
<徳大寺公能(1115年-1161年) 平安後期の公家>
三熊野の 御浜によする 夕浪は 花のいはやの これ白木綿
<西行(1118年-1190年) 平安末鎌倉初期の僧・歌人>
神まつる 花の時にや なりぬらん 有馬の村に かかるしらゆふ
<葉室光俊(1203年-1276年) 鎌倉時代の歌人>
紀の国や 花の窟に ひく縄の ながき世絶えぬ 里の神わざ
<本居宣長(1730年-1801年) 江戸期の学者>
今日に至るまで社殿はなく、熊野灘に面した高さ約45メートルの巨岩である磐座が御神体である。

この巨岩は「陰石」であり、和歌山県新宮市の神倉神社の御神体であるゴトビキ岩が「陽石」であるとして、一対をなすといわれる。

例祭は春秋2度、2月2日が春季大祭、10月2日が秋季大祭。秋季にはお白洲引きがあるが、当社例大祭といえば、何といっても県指定無形民俗文化財である御縄掛け神事。

特別な田で作られたもち米の藁縄7本を束ねた長さおよそ170メートルの大綱に、季節の花(2月はツバキ、10月はケイトウ)を結びつけた三つの縄幡と扇を吊るす。

磐座の頂上から七里御浜の海岸へと大綱が引かれ、境内の南隅にある柱の先端へと引き渡される。

その大綱の先端は地面の支柱に結びつけられ、大綱として束ねられる7本の細い藁縄は、伊弉冉尊の子で自然神である級長戸辺命少童命句句迺馳草野姫、軻遇突智尊、埴安神罔象女を意味する。

また三つの縄幡は、岩側より、伊弉冉尊の黄泉の穢れをはらった際に生まれた三神(三貴子)、天照大神月読尊素戔嗚尊を表している。

熊野三山を中心とした聖地・熊野の一つの側面・伊弉冊尊を象徴する地として、伊弉冊尊や社号から連想される「女性」という面で、現在では広くパワースポットとしても認知されている。

なお、当社は進藤彦興『詩でたどる日本神社百選』に掲載されている。

【ご利益】
女性守護、リフレッシュ(公式HP
花窟神社 - イザナミとカグツチが眠る日本最古の地、2月と10月の例大祭「御縄掛け神事」
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