吉野ヶ里遺跡と同時代の創建、福岡市の櫛田神社の元宮、隔年で「みゆき大祭」
[住所]佐賀県神埼市神埼町神埼419-1
[電話]0952-52-3016

櫛田宮(くしだぐう)は、佐賀県神埼市神埼町にある神社。参拝すれば、御朱印を頂ける。御祭神は須佐之男命櫛稲田姫命日本武命で、「櫛田三神」と称される。

当宮から北東方約2キロには吉野ヶ里遺跡が位置する。当宮では、当宮創建を吉野ヶ里遺跡と同時代とする。

社伝によれば、第12代景行天皇が当地に巡幸した折に不幸が続き住人が苦しんでいると聞き、当宮を建て神を祀り鎮めたのが発祥と伝わる。

その後は災厄もなくなったことから、この地を「神幸」(かむさき)と称し現在の神埼(かんざき)の地名の起こりとなったと伝えられている。

現在の神埼市・吉野ヶ里町のほぼ全部と上峰町・みやき町の一部が皇室領の荘園として「神埼御庄」と尊び称され、正応5年(1292年)の頃には約3000町歩の大荘園だった。

当宮はその鎮守である。神埼御庄は有明海を通じた宋との貿易の中心としても栄え、この荘園を実質的に治め、巨利を独占したのが平正盛・平忠盛で、その子が平清盛となる。

その貿易品や年貢米の積み出し港である博多に分社を作り、櫛田大明神の加護を祈った、というのが、現在の福岡市博多区に鎮座する櫛田神社とされる。

博多総鎮守として、現在では当宮より知名度の高い櫛田神社ではあるが、当宮が櫛田神社の元宮の可能性がある。二度目の元弘、弘安の役(1281年)の際に当宮から霊剣を移して異賊退散を祈願したとも伝わる。

現代でも、櫛田神社の「博多祇園山笠行事」が昭和39年(1964年)に国の民俗資料として記録作成の指定を受けた際(現在は、国の重要無形民俗文化財)に、当宮で調査が行われ、当宮古記録などが参考とされて資料が作成された。

その長い歴史を物語るように、当宮で保管されてきた古文書には12世紀以降度々朝廷や幕府、地元領主による造修が行われたことが記されている。江戸時代には長崎街道が整備され、神埼宿が当宮周辺に設けられた。

4月7日・8日(4月第1土・日曜日)に春祭がある。西暦偶数年の隔年で「みゆき大祭」と称し、大規模に斎行される。御神幸や神楽奉納などが行われる。10月7日・8日が秋祭。

境内社に、櫛森稲荷神社・櫛丸稲荷神社・祇園社・弁財天社・天満宮などがある。祇園社は平成23年(2011年)5月に火災で焼失したが、その後、寄付などにより再建される。

主祭神の八岐大蛇退治にちなむ、オロチ酒甕がある。

琴の楠と琴の池がある。景行天皇は御子の日本武命を偲び、各地を巡行したが、当宮では琴を埋め、それが楠となったという。

この古木の周囲を呼吸を止めて7回半回れば琴の音色が聞こえるという。

石造肥前鳥居・御神幸祭絵馬(拝殿内)が県指定重要文化財で、みゆき大祭の御神幸に際し先払いとして行われる尾崎太神楽は県指定重要民俗文化財。

櫛田宮古文書が市指定重要文化財で、みゆき大祭の御神幸に随従する締元行列が市指定重要無形文化財となっている。

2月の節分祭では、巨大なお多福門が設置される。

【ご利益】
厄災除け・賊軍退散・平穏安寧(公式HP
櫛田宮 - 吉野ヶ里遺跡と同時代の創建、福岡市の櫛田神社の元宮、隔年で「みゆき大祭」
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