鳥取岩美町、廃寺弥勒寺の近く、岩井温泉の守護神で麒麟獅子舞が伝わる
[住所]鳥取県岩美郡岩美町岩井141
[電話]-
御湯神社(みゆじんじゃ)は、鳥取県岩美郡岩美町、岩井温泉の近くにある神社。御朱印の有無は不明。
『延喜式神名帳』にある「御湯神社(因幡国・巨濃郡)」に比定される式内社(小社)。近代社格では郷社。温泉に関わる式内社である。
御祭神は、御井神・大巳貴命・八上姫命・猿田彦命。前3柱がもともとの御祭神で、猿田彦命は江戸期の合祀。
例祭は4月25日。秋祭が10月13日にある。3月の春祭り初午には麒麟獅子舞が奉納される。
平安時代初期の弘仁2年(811年)の創建と推定される。以来、この地域の中心として祭祀された。
湯の町岩井の守護神で、もとは御井神社で、「みい」が転訛り「みゆ」となり、御湯の字が充てられたとの説がある。
宝暦2年(1752年)に現在地に遷座、現社号を称した。文久3年(1863年)に1050年祭が執行された。
江戸時代、大野台地附近に伊勢宮(猿田彦命)があったが、大野台地の集落は岩井宿の繁盛につれて次第に衰微、元文年間(1736年-1741年)には人家もなくなった。
当社がその伊勢宮を後に合祀した。また式内社「大神社/太神社」の論社も合祀した。式内社「大神社」の論社は他に、太田の美取神社、浦富の荒砂神社、鳥取市の多居乃上神社がある。
明治5年(1872年)2月2日に郷社に列し、明治40年(1907年)2月3日に神饌幣帛料供進神社の指定を受けた。
境内には拝殿の右に稲荷、左に藤ヶ森の境内社と、能登守平教経の矢研石がある。
当社に向かう石段の麓にある旧岩井小学校の校門の側には、約1300年前に創建された廃寺弥勒寺三重塔の心礎が残っている。国の史跡。
地元では古くから「鬼の碗」(おにのわん)と呼ばれ、穴のあいた巨大な岩で、横3.63メートル、縦2.36メートル。
当社近くには、湯かむりという、頭に手拭いをのせ、数え歌を唄いながら柄杓でポカポカ湯を叩き湯をかむる、という江戸時代から伝わる入浴法を体験できる場所がある。
【ご利益】
子宝・安産・子育て、温泉守護

【関連記事】
・式内社と温泉 - 世界中に愛される「日本の温泉」は、1000年以上続く伝統的な信仰の賜物
・鳥取県の神社 - 本サイトに掲載されている神社で、鳥取県に鎮座している神社の一覧
[電話]-
御湯神社(みゆじんじゃ)は、鳥取県岩美郡岩美町、岩井温泉の近くにある神社。御朱印の有無は不明。
『延喜式神名帳』にある「御湯神社(因幡国・巨濃郡)」に比定される式内社(小社)。近代社格では郷社。温泉に関わる式内社である。
御祭神は、御井神・大巳貴命・八上姫命・猿田彦命。前3柱がもともとの御祭神で、猿田彦命は江戸期の合祀。
例祭は4月25日。秋祭が10月13日にある。3月の春祭り初午には麒麟獅子舞が奉納される。
平安時代初期の弘仁2年(811年)の創建と推定される。以来、この地域の中心として祭祀された。
湯の町岩井の守護神で、もとは御井神社で、「みい」が転訛り「みゆ」となり、御湯の字が充てられたとの説がある。
宝暦2年(1752年)に現在地に遷座、現社号を称した。文久3年(1863年)に1050年祭が執行された。
江戸時代、大野台地附近に伊勢宮(猿田彦命)があったが、大野台地の集落は岩井宿の繁盛につれて次第に衰微、元文年間(1736年-1741年)には人家もなくなった。
当社がその伊勢宮を後に合祀した。また式内社「大神社/太神社」の論社も合祀した。式内社「大神社」の論社は他に、太田の美取神社、浦富の荒砂神社、鳥取市の多居乃上神社がある。
明治5年(1872年)2月2日に郷社に列し、明治40年(1907年)2月3日に神饌幣帛料供進神社の指定を受けた。
境内には拝殿の右に稲荷、左に藤ヶ森の境内社と、能登守平教経の矢研石がある。
当社に向かう石段の麓にある旧岩井小学校の校門の側には、約1300年前に創建された廃寺弥勒寺三重塔の心礎が残っている。国の史跡。
地元では古くから「鬼の碗」(おにのわん)と呼ばれ、穴のあいた巨大な岩で、横3.63メートル、縦2.36メートル。
当社近くには、湯かむりという、頭に手拭いをのせ、数え歌を唄いながら柄杓でポカポカ湯を叩き湯をかむる、という江戸時代から伝わる入浴法を体験できる場所がある。
【ご利益】
子宝・安産・子育て、温泉守護

【関連記事】
・式内社と温泉 - 世界中に愛される「日本の温泉」は、1000年以上続く伝統的な信仰の賜物
・鳥取県の神社 - 本サイトに掲載されている神社で、鳥取県に鎮座している神社の一覧
コメント