舒明天皇の時代に発見された那須温泉の守護神、那須与一ゆかり
[住所]栃木県那須郡那須町湯本182
[電話]0287-76-2306

温泉神社(おんせんじんじゃ)は、栃木県那須郡那須町、那須温泉にある神社。参拝すれば、御朱印を頂ける。那須与一や殺生石をあしらったオリジナルの御朱印帳がある。

延喜式』巻9・10神名帳 東山道神 下野国 那須郡「温泉神社」に比定される式内社(小社)の論社。近代社格では郷社。那須温泉神社とも。温泉に関わる式内社である。

第34代舒明天皇の御代、630年ごろ、狩野三郎行広が矢傷の白鹿を追って山中に迷い込み、神の啓示により温泉を発見して社を創建、温泉の神を祀った。

行広は後年那須温泉開発の祖として見立神社の御祭神として祀られる。

御祭神は大己貴命(おおなむちのみこと)・少彦名命(すくなひこなのみこと)。相殿に誉田別命(ほんだわけのみこと)を祀る。

古来、当社の霊験は国内に名高く、聖武天皇の天平10年(738年)には都より貴人が那須に湯治に下った記録がある。

神位も徐々に高まり、清和天皇の貞観11年(864年)には従四位勲五等が贈られた。

那須氏の発祥地であり、文治元年(1185年)、那須余一宗隆(那須資隆)は、源平合戦の屋島の戦いにおいて、当社に祈願し、見事扇の的を射、名声を轟かせた。その後一門を挙げて当社を厚く崇敬した。

建久4年(1193年)、源頼朝が那須野原巻狩の際、小山朝政が射止めた九岐大鹿を奉納した。

現存の本殿は慶長12年(1607年)、那須資晴による建立。

元禄2年(1689年)、松尾芭蕉が『奥の細道』をたどる途中、当社に参詣、那須余一奉納と伝わる鏑矢などの宝物を拝観、殺生石を見物したことなどが『曽良旅日記』に載せられている。

大正11年(1920年)、久邇宮良子女王殿下が参拝、また、大正13年(1922年)には摂政宮殿下(後の昭和天皇)の行啓があり、それぞれ那須五葉松をお手植え。

例祭は10月、例大祭で温泉の恵に感謝し、末永くお湯が沸き出でるように祈願する。

10月8日には湯汲祭・献湯祭が、10月9日には献幣祭・神幸祭がある。神輿が町内を渡御し、境内では那須音頭、阿波踊りなど奉納され、小学生相撲もある。

境内外社に、見立神社(天児屋根命。例祭:5月27日)の他、祖霊社・愛宕神社(火産霊命。例祭:4月24日)、九尾稲荷(例祭:2月初午)、茶臼嶽山頂に鎮座する那須嶽神社(開山祭:5月8日。閉山祭:11月8日)がある。

殺生石がある。白面金毛九尾の狐が日本に渡来したが、陰陽師阿部泰成によって那須野ヶ原に追いやられた。

その後も領民への危害が激しいため、これを退治したが、妖狐は毒石となり毒気を放っていた。会津示現寺の開祖源翁和尚がこれを封じたといういわれ。

また、盲蛇石がある。越冬のため山に薪を採りに行った五左ェ門が殺生河原で一休みしていると、2メートルを越える大蛇に出会う。

白く濁り盲の蛇だったので、小屋を作ってあげると、翌年の春、湯の花が置かれていた。村では湯の花が産業となり、その感謝のために蛇の首に似たこの石を大事にしたという。

なお、式内社「温泉神社」の論社に、大田原市の大宮温泉神社がある。ただし、大宮温泉神社は当社を勧請したとの説もある。

【ご利益】
縁結び・商売繁盛・身体健全・温泉守護(公式HP
温泉神社(那須町) - 舒明天皇の時代に発見された那須温泉の守護神、那須与一ゆかり
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