景行天皇が創建した道後温泉の守護神、喧嘩神輿と初子祭、湯祈祷祭
[住所]愛媛県松山市道後湯之町4-7
[電話]089-921-0480

湯神社(ゆじんじゃ)は、愛媛県松山市の道後温泉近くの冠山山頂にある神社。参拝すれば、御朱印を頂ける。

延喜式』巻9・10神名帳 南海道神 伊予国 温泉郡「湯神社」に比定される式内社(小社)。近代社格では県社温泉に関わる式内社である。

神紋は「亀甲に花菱」。相殿に式内社の「出雲崗神社」(いずものおかじんじゃ、出雲岡神社)を祀る。

別称として湯月大明神、あるいは4柱の神を祀るため四社大明神、伊佐爾波神社の西にあるため西宮とも。

主祭神は大己貴命(おおなむちのみこと)・少彦名命(すくなびこなのみこと)。相殿神として、出雲崗神社御祭神の素盞嗚命(すさのおのみこと)・稻田姫命(くしなだひめのみこと)を祀る。

第12代景行天皇が皇后・八坂入姫命とともに当地に行幸した際、道後温泉の守護神として、鷺谷の大禅寺の前に創建されたと伝わる。

鷺谷は、鷺が痛めた足を温泉に浸して治療していたとされる場所で、道後温泉発見の起源地。また、鷺は道後温泉のシンボルにもなっている。第34代舒明天皇の行幸に際し、社殿が新築された。

現社地の冠山(出雲崗)には式内社である出雲崗神社が鎮座していた。第7代孝霊天皇の創建で、素盞嗚尊・稲田姫命・大山積命茅野姫命の四柱の神を祀り、四所大明神とも称していた。

大永年間(1521年-1528年)、地震で温泉が埋没し、当社の社殿も大破した。そのため、河野通直により当社は出雲崗神社に合祀され、湯月大明神、四社大明神などと称された。

元禄年間(1688年-1704年)、社号を湯神社・出雲崗神社に復した。

宝永4年(1707年)、地震により出湯が停止した際、当社で出湯の祈祷が行われ、再び現在のように温泉が出たという。宝永5年(1708年)、当社はその功により、相殿から境内別社となった。

明治4年(1871年)、当社に出雲崗神社を合祀する現在の形式となった。参道前の社号碑は、伊佐爾波神社と同じく、出雲大社の第82代出雲国造千家尊統の書である。

例祭は10月6日で例大祭。前日の10月5日が宵宮で、翌日の10月7日が神幸祭であり、喧嘩神輿(鉢合わせ)が行われる。

当社から「小唐人(ことうじん)」「北小唐人(きたことうじん)」、伊佐爾波神社から、「湯之町(ゆのまち)」「道後(どうご)」「築山(つきやま)」「溝辺(みぞのべ)」「大唐人(おおとうじん)」「持田(もちだ)」の八町八体の神輿が参加する。

3月19日-21日に湯祈祷祭が斎行される。期間中には、松山春まつり(道後温泉まつり)が開催される。1月第2日曜日は初子祭で、当日は参拝者で大変賑わう。大己貴命が鼠に救われたという神話に基づく(『古事記』該当部分)。

摂末社に、三穂社(事代主命蛭兒命)・八幡若宮社(大鷦鷯尊)・児守社(神大市姫命・鎭疫神・河野通広)・中嶋神社(田道間守命)がある。

【ご利益】
病気平癒、厄災除け(公式HP
湯神社(松山市) - 景行天皇が創建した道後温泉の守護神、喧嘩神輿と初子祭、湯祈祷祭
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湯神社(松山市)の御朱印