イザナギの禊、アマテラス・スサノヲら三貴子生誕地、祝詞の発祥
[住所]宮崎県宮崎市阿波岐原町産母127
[電話]0985-39-3743

江田神社(えだじんじゃ)は、宮崎県宮崎市阿波岐原町にある神社。「禊ぎ発祥の地」「祝詞発祥の地」といわれ、パワースポットとしても有名。参拝すれば、御朱印を頂ける。

延喜式』巻9・10神名帳 西海道神 日向国 宮崎郡「江田神社」に比定される式内社(小社)。近代社格では県社

主祭神は伊邪那岐尊。寿永2年(1183年)に増祀された伊邪那美尊を配祀する。この2柱は「産母(やぼ)二柱大明神」と号され、地元の人々からは「産母様」とも呼ばれている。

『古事記』『日本書紀』には、伊邪那岐尊が黄泉から帰還して禊を行ったという記述がある。

禊を行なった場所について、『古事記』では「竺紫日向之橘小門之阿波岐原」、『日本書紀』では「筑紫日向小戸橘之檍原」。つまり当地とされる(『古事記』該当部分)。

この地名は、全国の神社であげられる「祝詞」の冒頭でも「かけまくも畏き伊邪那岐の大神、筑紫の日向の橘の小戸の阿波岐原に禊ぎ祓えたまいしに」と読み上げられている。

当社近く、当社北東に「みそぎ池」(御池。みそぎが池)が伊邪那岐尊が禊を行った地と伝えられ、かつては入江であったが、後に開墾されて「江田」と称されたという。

現在は、池の側にみそぎ御殿が建つ。伊勢の神宮(伊勢神宮)から勧請した神々を祀る。二拝・八拍手・一礼の作法。

とすれば、当地は伊邪那岐尊の子であるアマテラスツクヨミスサノヲら三貴子や住吉三神、ワタツミ三神の誕生地ということになり、実際そうした伝承も残る。

当社の北には住吉三神を奉斎する全国の住吉神社の元宮とされる住吉神社がある。また、阿波岐原には小戸神社一葉稲荷神社などがある。

当社の周辺には古代の集落跡が多数あり、代表的なものには弥生時代初めの檍遺跡(あおきいせき)がある。

また、3世紀末の古墳時代初期の前方後円墳・檍1号墳からは国内最大の木製墓室・木槨跡が見つかっている。

『続日本後紀』の承和4年(837年)8月1日条の「日向国子湯郡子都濃神。妻神。宮埼郡江田神。諸県郡霧島岑神。並びに官社に預かる」という記事が国史の初見。

また、『和名類聚抄』には宮崎郡に「江田郷」の記載があり、境内からは10世紀前後の須恵器も出土したことから、創建当初の位置に現在も鎮座していると考えられている。

天禄元年(970年)までには神階が最高位の正一位まで進み、菊の紋章を持つ壮麗な神殿を持つなど、かつては日向国一宮都農神社と肩を並べるほど、社勢を誇っていたといわれる。

中世には那珂郡に属し、京都の『清滝宮勧進神名帳』や文明11年(1479年)の『戒壇院公用神名帳』にも記載が見られ、日向国を代表する神社であった。

しかし、寛文2年(1662年)の外所地震(とんどころじしん)の大津波により社殿を失ってからは衰退し、一村落の産土神の扱いとなっていた。津波によって貴重な歴史遺産が多数失われた。

江戸時代初期、神道家の橘三喜による『諸国一宮巡詣記』は「江田の御社に参りそれより檍が原の住吉に詣でて、尋ね来て聞けば心も住吉の松は檍が原の松原。この海辺に伊弉諾命の身そぎ給う」と記している。

明治6年(1873年)5月25日、県社に列格し、同40年2月9日に神饌幣帛料供進神社に指定された。

例祭は11月22日で、秋季例大祭。春の社日祭も含め、「江田神楽」が奉納される。神楽の歴史は古く、慶長17年(1612年)銘の神楽面が残っている。

6月30日は大祓祭で、特殊神事として茅の輪潜りがある。

【ご利益】
禊ぎ、リフレッシュ、子宝など
江田神社(宮崎市) - イザナギの禊、アマテラス・スサノヲら三貴子生誕地、祝詞の発祥
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江田神社(宮崎市)の御朱印