織田信秀が北野を勧請、加藤清正とゆかりの井戸、名古屋ど真ん中の時分鐘
[住所]愛知県名古屋市中区錦2-4-6
[電話]052-231-4879

桜天神社(さくらてんじんしゃ)は、愛知県名古屋市中区にある神社。菅原道真を祀る天神・天満宮。山田天満宮上野天満宮とともに、名古屋三天神の一つ。参拝すれば、御朱印を頂ける。

織田信長の父である織田信秀(1510年-1551年)が、北野天満宮から道真の木像を勧請して那古野城に設けた祠に奉ったのが始まりとされる。現在地へ移された天文7年(1537年)を当社では自社の創建としている。

当時この場所は萬松寺の境内であり、その鎮守として置かれたが、慶長15年(1610年)の名古屋城築城にあたって萬松寺が大須に移った後も、当社はそのまま残された。

この地は桜の名所で、多くの桜の大樹があったことから「櫻天満宮」「桜天神」と呼ばれた。桜の大樹は万治3年(1660年)の万治の大火で焼失したが、桜天神の名前は残り、やがて現在の桜通の由来となった。

名古屋城築上の際には、加藤清正がこの地に本陣を構えて指揮を取り、また茶会を度々催したことが伝えられている。その際のゆかりの「天神の井戸」が今に伝わる。

当時の名古屋は東西9町、南北9町、計81町に区画され、その中心に位置していたのが当社だった。その関係からか、時分鐘が造られた。

寛文元年(1661年)、尾張徳川家2代藩主徳川光友の命で鐘楼を造り、城下に時を告げるため昼夜12時に鐘を鳴らした。

最初の鐘は宝暦13年(1763年)の火災で焼失。翌年に造り直されたが、明治6年(1873年)に廃止された。現在は敷地内にレプリカの鐘が建てられている。

明治維新に伴う神仏分離の折に菅原神社と改称。終戦後の昭和23年(1948年)に宗教法人天神社となった。

平成7年(1995年)、住宅・都市整備公団の再開発事業に伴い一部の建て替えが行なわれ、現在ではビル街の中にこじんまりと存在するが、名古屋三天神の一つとして、現在もシーズンとなれば多くの受験生が訪れる。

春の大祭が3月24日・25日に、秋の大祭が9月24日・25日に行われる。献茶祭・献書祭がある。1月25日が初天神で、うそ替え神事が斎行される。7月7日に七夕まつりがある。

境内には、願の水の牛がある。この牛に自分の年の数(10歳未満はその数だけ、10歳以上の場合は10年を1歳とし、それに一の位の数を加える)だけ柄杓で水をかけて願い事をすれば、その願いが叶い、またこの水で字を書くと上手に書けるとされる。

【ご利益】
学業・受験合格、諸願成就
桜天神社 - 織田信秀が北野を勧請、加藤清正とゆかりの井戸、名古屋ど真ん中の時分鐘
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